ご挨拶

大阪 理事 福川隆

私はAMDA国際医療情報センター関西にかかわって16年余りとなります。
AMDAとの出会いは、大阪府立病院(現急性期総合医療センター)に勤務しているとき研修医の田中政宏先生が、開業に当たって地域医療だけではなく、広く社会に貢献することをしてはどうかとAMDAを紹介されたところからです。平成2年、大阪の鶴橋で福川内科クリニックを開業する直前に岡山の菅波、東京の小林両先生がわざわざ来院されその深い思い知り、開業医の立場からAMDAの活動を広げていく気持ちを固めました。
実は昭和58年から2年間、米国ニューヨーク州のバッファローにあるRoswell Park Memorial Institute のCancer Cell Center に留学する機会を得て研究員として働いておりました。
海外生活は全く初めての経験で、英語もさほど堪能とは言えない状態のまま妻と生後6ヶ月の長女を連れて渡米しました。
やはり、外国で生活する上で言語の壁は想像以上のものがあり、研究室の技術員との会話もままならぬ中、年齢より若く見られるアジア人の威厳を保とうと髭を蓄えることにしたのも、今では懐かしい思い出です。
体重も減り、無精ひげのように写ったのでしょうか、知り合いの日本人ドクターに『先生どこかお悪いんですか?』と心配される始末でした。
言葉や文化の違う国での生活は色々な面で戸惑うことが多いですが、医療面での問題は個別の対応が必要で、さらに問題を深刻化させてしまうこともあります。自分が医師とは言え、子供の発熱などで戸惑う事もしばしばで地元の開業医のお世話になり、そのころの日本の医師のイメージと違うフランクで親身な対応に気持ちが楽になったものです。
病気になると人は誰しも心細くなるものですが、知らない土地で知人もいないとなるとなお一層孤独になります。
AMDAへの関心は、自分が海外生活を通して受けた様々な助けや救いを少しでも返したいと言う、いわば恩返しの気持ちから始まりました。  人は人とつながる-それは医療を通しても言える事です。
AMDAの活動が日本に暮らす世界の人々を助け癒す場になれば、日本と世界の人々が繋がる場になればと願い、自分に出来ることを続けていこうと思っています。

福川 隆 経歴
 
昭和51年3月 大阪大学医学部卒業
 
昭和51年7月 大阪大学医学部附属病院研修医
 
昭和52年7月 大阪府立羽曳野病院(現呼吸器アレルギーセンター)第五内科
 
昭和61年1月 大阪府立病院(現急性期総合医療センター)臨床検査科
 
平成2年7月 福川内科クリニック開設
 
平成5年12月 AMDA国際医療情報センター関西設立、副所長に就任
 
平成13年12月 AMDA国際医療情報センター関西 所長に就任
 
平成17年10月 医療法人 隆福会 福川内科クリニック 理事長
 
現在に至る