AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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きょうは笑える話。フィリピン人の中年女性がやってきた。職場の検診で血色素が8.8g/ dlで医療機関で精査するようにと言われたのに数か月放置していたらしい。すると職場で「医療機関に行って診察を受けてこないと働かせない」と言われたとのこと。職場健診の結果と職場からの指示書を持っていた。血液検査をしてみると血色素は8.7g/dlしかなく、速足で歩いても動悸がするという。この数年同じようなデーターだったらしく、昨年は産婦人科を受診したが異常ないと言われたと教えてくれた。子宮筋腫でもひどい貧血になるからだ。これほどひどい貧血であるにもかかわらず、通常業務はできるということは貧血がゆっくりと進んだことを示している。ということはどこかにがんがあるという可能性は否定的である。とりあえず鉄剤を処方し、日本茶の渋みの素であるタンニン酸が鉄剤の吸収を阻害するので鉄剤内服の前後に日本茶を飲まないようにと指示した。まあ、ここまでなら笑えるところはないのだが・・・彼女が「わたし、バボイ・・・」と小さい声で言う。バボイはタガログ語で豚のことである。たしかにそういう体型と言えないこともない。それでも「自分でバボイと言っちゃいけないよ」と話したとこで僕の言葉を遮って彼女が言った。「ちがうよ、せんせい、わたし、○○ヨーカドウの豚肉のコーナーで働いているの」。そう、彼女は「私は豚みたい」と言ったのではなくて、「私は豚肉売り場で働いている」と言いたかったわけだ。大笑い。
  • 2011/9/26 9:02
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祝日だというのに朝の8時半、もう東名高速足柄サービスエリアにいる。5日ほど前に台湾にいる「姪」の一人からメールが来た。かっこ付きの姪ということは本当の姪じゃないということだ。正確に言うと僕の大の親友だった台湾の友人の一番上の兄の娘だ。この親友と出会ったのは27歳の時だった。当時僕は慶応大学病院の外科にいた。ある日、日曜当番で病院に行ったら台湾人の急患が来ていて急性虫垂炎ですでに腹膜炎になっていた。それが親友だった。チーフレジデントがレジデントである僕に手術をしてもよいと許可してくれたので僕が執刀医となった。急性虫垂炎の手術は外科医にとっては最初に学ぶ手術の一つであり、僕も25歳で大和市立病院に出張した時には1年で100を超える手術を行った。しかし慶応大学病院のように石を投げたら医師に当たるほど医師が多い病院では、こういう手術でさえ卒業4年目の医師が執刀医になるなど例外的なことだった。彼はいつも僕におなかの傷を見せては「どこかのへたな医者が手術したからこんなになっちゃったよ」と言っていた。彼が台湾に帰った時に後を追って訪ねると彼の両親、兄弟がみんなかわいがってくれた。アジアに出かけるたびに帰りに一泊でも台湾によって彼の両親にお会いしていた。その彼はどこから叩いても壊れないような体格をしているのに5年前に突然亡くなってしまった。B型肝炎なのに酒を浴びるように飲んで肝不全になったことが死因だった。彼がもう意識がないというのは今回と同様、「姪」のひとりからの電話で知った。彼の母親すなわちこの「姪」のおばあちゃんは「小林さんに言ったら仕事を休んでも来る。仕事を休ませてはいけないから話すな」と「姪たち」に命令していたとのことだった。僕はあわてて台湾に飛んだ。数か月人工呼吸器がついていたそうだが、僕が見舞いに行ったその日、僕が手を握ってからしばらくして血圧が下がり始め、数時間後に僕の目の前で亡くなった。みんなが彼は僕がやってくるのを待っていたんだよと言ってくれた。本当にそんな気がした。それから2年に一回ぐらい彼の墓参りで台湾に行く。台北の北、キールンの近く、北に海を臨む小高い山の中腹に彼は眠っている。同じ墓地の敷地内にテレサ・テンの墓もあり、彼女の墓の10メートル以内だったか・・に入るとライトアップされて彼女の歌が流れる。彼の死後、僕は彼のかわりに彼の兄弟の列に加えてもらっている。一歳年下の彼には3人の兄、一人の弟、一人の妹がいる。そして一番上の兄には5人の娘がいる。一番上は娘、二番目も娘、次は女の子の双子、最後がまた女の子、5人ともなついてくれているがいつも僕にいろいろと教えてくれるのはこの双子の「姪」だ。なにしろ初め出会ったころはまだ小学校低学年だった。二番目の娘が日本人に嫁いで御殿場にいる。そこに僕の「一番上の兄夫婦」が娘と孫の顔を見にやってきているというわけだ。数日前に電話したら「あれ、わたし、ここにいるの、どうして知ってるの?」と驚いていた。どこにでもスパイはいるんですよと言うと笑っていた。で、きょうはこの「兄夫婦」に会いに行くというわけだ。会うのは2年ぶり。懐かしい。
  • 2011/9/26 8:58
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数日前にAMDA国際医療情報センターのタイ語通訳から聞いた話ということを前提で書かせてもらいたい。彼女が抱えているエイズ患者が貧血で倒れて救急車で某病院に搬送された。搬送先の病院で最初に問診を受けたときに「エイズである病院で薬を内服している」と医師に話した。その後、彼女自身はぼーつとして一時的に意識が下がってしまったらしい。そこで医師は待合室に行き、付き添ってきたアフリカ系アメリカ人の男性を夫と勘違いし、エイズの薬は何を飲んでいるのかと尋ねたとのことだ。その男性は彼女の「いい人」だったらしいが、病気のことなど知る由もない。大層驚いたそうだ。また救急外来に待っている人たちすべてに聞こえるような声だったらしい。後日、この「いい人」を通じて彼女の職場のすべての人が知る事態になったとのことだ。病院側は数人の医師が出てきて謝罪したそうだが、彼女は訴訟をすべきかどうか考えている。お金のことではないと彼女ははっきり言っているそうだ。すべてを失って死にたいとも言っているそうだが、そうだろう、人間は一人では生きていけない。自分をとりまくすべての人が突然離れて行ったらそんな気持ちにもなるだろう。問題はどうしてこういうことがおこってしまったかということだ。僕はエイズ拠点病院政策の「副作用」だと思う。エイズ拠点病院政策そのものはまちがっていないと思うが、一般病院や診療所の中にエイズなど関係ない、拠点病院に送ればいいという雰囲気はないだろうか。だからこそプライバシィーを守るといういろはのいの字もわからず、まちがってしまうのだろう。僕はこの10年近く、大和市医師会の年一回のエイズ研修会を担当してきた。この研修会は厚労省から年一回開催するように郡市医師会に義務付けられているものだが、外部から講師を呼んでも出席者はせいぜい15人程度のように程度である。要するに拠点病院に勤務している医師以外は関心がないということだ。それじゃ困る。エイズの治療は拠点病院で行ったとしても、風邪をひいたり、先ほどの彼女のように貧血になると一般の医療機関にやってくるはずだ。そのときに彼らがエイズの治療についてきちんと打ち明けてくれるかどうか、それは医療機関が彼らのプライバシイーを守れるかどうかにかかっている。
  • 2011/9/22 15:49
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毎朝、7時にはクリニックに行き、特定健診やがん検診の結果を記入する。そうしておかないと昼休みも医師会の仕事などに追われる身、夕方の診察終了まで手がつけられない。やはり中南米系の人たちはメタボが多い。食事の内容を聞くとそれもうなづけるが、遺伝的体質もあるのだろう。きのう結果を記入したなかにブラジル人の女性がいた。40歳になったばかりで、ことしから特定健診デビューである。彼女、非常に太っていてBMIも30近い。こういうケースでは中性脂肪やLDLコレステロールが高いことが多いので、結果が出たらどういう指導をしようかと考えていた。きのうの朝、彼女の用紙が出てきたので血液データーを記入し始めたら・・・・肝機能、HDLコレステロール、LDLコレステロール、中性脂肪、腎機能、血糖値などすべて正常範囲内、それも上限ぎりぎりの「正常」ではなく、まるで正常なのである。尿検査も異常なく、心電図も異常なく、血圧も全くの正常。要するにデーター的には異常がないのである。総合結果に「異常なし」と書いてからあわてて二本線で消して「肥満」と書き直した。さてこの彼女、今週末にはやってくるはず、肥満ですと告げてもすべてのデーターは異常なく、「だからどうしたの?」と言われそうだ。肥満は見慣れているので、病気のはじめとは思ってくれない可能性が高い。また説明に悪戦苦闘することだろう。
  • 2011/9/21 8:58
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連休明けの火曜日、健診の終了が近付いていることもあっててんてこまい。タイから一時帰国した日本人患者が次回の帰国まで2ヶ月分薬を処方してほしいとやってきた。午後になっていつもやってくるタイ人女性から電話あり。薬を2ヶ月分出してほしいというのでなぜ?と尋ねたら「チャイヤブーンにいるから」という返事。彼女のタイの田舎だ。最近の電話の性能はすばらしく、隣から電話しているように聞こえる。国民保険証は変更ないよねと聞くと「ない」とのこと、友達が取りにくるというので待っていたらずくに色の浅黒い人がやってきた。タイ語で話しかけたら、「いいえ、私、日本人です」と返事。やはりアジア人、顔が似ている。僕も東南アジアを旅行していると最初に言われるのは中国人ですか? ちがうと言うと韓国人? ちがうと言うと台湾人? 台湾人じゃないというと香港? それもちがうと言うとシンガポール? 挙句はタイ人ですか?と。何かひとつ忘れていませんか? どうして日本人が出てこないのと言いたい。まあアジア人ってみんな似ているというわけだ。なぞはもうひとつ、受付の職員がうっかり「だんなさんですか?」と尋ねてしまった。なんとなく言いにくそうに「ちがいます」と答えたらしい。今回は保険証が変わっているかいないかを確認するためにこういう質問をしたわけだが、通常は無用だ。プライバシィをほじることになる。昼前にやってきた初診のフィリピン人女性、突然クラミジアの検査をしてほしいとのこと、よく見るとおなかが大きい。日本人のだんなと別れて、いまつきあっている米軍基地の中の米国籍の男性のこどもだと言うが、その男性が診察を受けたところ、クラミジアと診断され、抗生剤を内服しているらしい。検査は施行、日本人のだんなとの間にできた男の子を連れて帰って行った。もし彼女が陰性だとしたら、ではいまの彼はどこからクラミジアをもらってきたのか? そうなると結婚の話はどうなるのか? 彼女の状況を理解すればするほど、一筋縄ではいかない状況にまだ25歳の彼女がいるのがわかる。ややこしいことにならなければいいがと祈りたい。
  • 2011/9/20 19:44
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数日前に産経新聞関連の医療雑誌の編集者から突然電話をいただいた。内容は僕に任せるので僕のクリニックでの外国人の診療についてのエッセイを書いてくれという依頼だった。この「お任」については苦い思い出がある。知り合いの編集者が出版している眼科雑誌の「目」というコラムにお任せの文章を依頼されたときに、ちょっと粋な文章をと学生時代に当時の恋人と雑踏の中で待ち合わせをしたときのことを瞳というタイトルで切々と描いた。すると文章を送った直後に彼から電話があった。「先生、これは先生のことですか?すばらしい文章とは思いますが、こういう内容は別のところに出されてはいかがでしょう?」と言われてしまい、平凡な文章に書き直しせざるをえなくなってしまった。
小学生のころから作文が苦手だった。それなのに今は文章を書くことが日常的である。まあカルテを書くなんていうのも文章を書くことの一つかもしれない。あれほど文章を書くことが苦手だったのに書けるようになったのは厳しい上司のおかげだと思う。26歳で慶応大学外科学教室の胃のグループに戻ってきたとき、直属の上司が石引先生という助教授と吉野先生という講師だった。お二人とも厳しくとも心根はやさしいのだが、口から出てくる言葉は実に辛辣で若い医師を奈落の底に突き落とすには十分だった。とくに論文の書き方については徹底的に指導された。石引という文字をひっくり返すと「きびしい」となる。そう陰口をたたかれるほどであったが、あのとき、たたかれていたから苦手感もなくなったのだろう。いつのまにか後輩の学会発表や論文のチェックをするようになっていたが、その時のチェックの仕方というのがお二人に自分が指導された通りだった。先輩には感謝しなければいけない。外国人も日本人と同じ地域医療をと開業してからいろいろな書き物を依頼されるようになった。東京新聞の土曜の夕刊のコラムを半年間書いてくれと言われて引き受けたときは一か月前に言われたので連載の始まる前、その一か月間に半分以上書き溜めしておいた。ネタ切れになりそうになったこともあったが、なんとか乗り越えた。そんな僕が最初に外国人医療や日常診療のことに題材をしぼってエッセイを書いて出版したのは15年も前だった。出来上がりを見て編集者は褒めてくれたが僕の予想通り、あまり売れなかった。書けることと読者の心をとらえること、すなわち文章力があるということは別だと思い知った。その後、再びエッセイ集の出版を某雑誌社から持ちかけられたが、50近い短編を書き上げたころに会社が倒産してしまった。出版業界も大変らしい。当時、僕は神奈川県医師会の会報編集委員だった。医師会報の中にちょうどエッセイを掲載するのにぴったりの「随想」というコーナーがあって、あまり会員からの投稿もないので新しい文章と出版のために書き溜めた文章とを織り交ぜて1年に5編ほどのペースで投稿した。昨年の12月だったか、日本医事新報という老舗の雑誌の編集部から突然エッセイの原稿依頼をされた。すごく長い文章ではなかったがどうして僕のところにこういう依頼が来るのかと驚いた。それにしても今やパソコンがあって文章も書きやすい。80年ごろだと記憶しているが、論文を書いて上司に見てもらう。あそことこことこのあたりがだめ、2日後に見てあげるから持ってきなさいと言われると診療や研究が終わって自宅に戻ってから2日間に200ページ近い文章を鉛筆で書かねばならない。これを数回繰り返すと、もはや暗記できてしまう。実にいい時代になったものだ。
  • 2011/9/18 9:00
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上腕に埋め込まれた避妊用の合成樹脂のチューブを取ってほしいと長野県から予約を入れてくださっていたペルー人の患者、本当に予約通りにやってきた。カルテを見たら住所は長野県松本市。何度か近隣の病院に問い合わせても摘出を拒否されたということだが、片道4時間半かけて車でやってきてくれた。皮下を診ると2本挿入されている。局所麻酔を行ってごく小さく切開した。できるだけ目立たぬようにという配慮とこんなに簡単なのですよとアピールしたかったので。そうだなあ、たぶん5分かからずに2本とも摘出、カメラのビデオ機能で撮影させていただいた。終わったらそのまま松本までとんぼ返りとのこと。抜糸は松本で行ってもらう。こんな程度の手術で往復9時間と交通費では申し訳なく思うばかり。たしかに日本人の医師の目には珍しいものだが、局所麻酔でものの数分で摘出、縫合もたったの2針。南米の人がこれだけ日本に多いのだから摘出を願う人も少なくないはず。僕も今回で7人目か8人目くらいだろう。患者の利便性のためになんとか日本人の医師にこれについて理解してほしい。学会で発表しますなんてものじゃないし、どうしたらよいのか考えてしまう。こういうときこそマスコミの手を借りたい。
  • 2011/9/17 10:00
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きょうは外国人医療とは直接関係ないことを久しぶりに書かせてもらいたい。昨晩、大和市をはじめとする近隣4市の3医師会で広域救急体制の話し合いを持った。近隣の市のとくに小児救急が崩壊の危機、内科救急も崩壊の気配が見えている、患者の立場では「いつでもどこでも専門医に診てほしい」のだろうけど、そんなことを本当に言ったら専門医はみな過労死してしまう。その前に重症、軽症を選別するようなシステムが必要だろう。通常の会社が週休二日であるように、医師も看護師も検査技師もみな適切に休みがほしいし、休ませてあげなければ医療事故だっておこしかねない。ある病院に最近、国税庁の査察が入ったそうだ。その病院の医師から直接聞いた話だが、その病院の当直体制は実は当直ではなく、通常業務の延長であると見做されて、税金を追加徴収されたそうである。要するに地域の中核病院として救急を担っている実態が「当直ではなく通常業務のようだ」と国の機関が認めたわけである。これは税金を追加で支払うという方法でクリアしたそうだが、もし労働基準監督局がやってきて労働実態を見たら改善命令が出ることは火を見るより明らかだ。医師が急に増えない中で命令に応えるには労働時間を減らすしか方法がない。そんなことをしたら地域の救急体制が守れない。こんな中でも救急体制をなんとか守ろうとするには地域住民の理解と協力がなければできないだろう。そうでなければなんだかんだと欠点があるであろう今の救急体制さえ崩壊してしまうだろう。
ところで過労死の問題は専門医についてばかりではない。なぜ地域の休日夜間急患センターを整備してきたかというと朝から夕方まで働いている医師が夜になっても急患で起こされないように仕事の分担をしようというところから始まったと記憶している。急患で夜起こされたら睡眠不足で昼の診療をしなければならない。ところが最近の診療報酬改正を見ると、高齢者を病院から追い出して自宅で看取りをする方向への環境づくりのために訪問医療とか準夜帯、深夜帯に患者を診ることに点数をばか高くしたり、新設したりしている。診療報酬を抑えられてきた医療機関をそちらに誘導しようという厚労省の目論見なのだろう、これは開業医までをも過剰労働に追い込むものであり、なんのために今まで休日夜間急患センターを整備してきたのかに矛盾するものだ。こういう環境の中でも診療の後に午後7時から10時までかかって地域の3つの医師会のメンバーが新たな救急制度を広域で支えようと今までの互いの制度の違いを乗り越えるために努力していることをだれかにわかってもらいたい。
  • 2011/9/16 8:58
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昨日一昨日のAMDA国際医療情報センターに寄せられた相談などから2件ほど、コメントしてみたい。首都圏の某県の某課より、予防接種について外国人から相談が寄せられた場合はそちらを紹介してよいかという相談があった。もちろんかまわないが、さすが行政だ。相談を受けてその内容について我々に問い合わせると自分たちが間に入ることになり、当事者になってしまう。だから直接やりとりをしてくれということなのだろう。頭がいい。僕も互いの長所、短所、得意な分野、不得意な分野をカバーしあえばいいと思うのだが・・先方は税金で運営されている組織、こちらはいわば浄財で運営されている組織だ。「カバーしあう」というには体力がちがいすぎる。今の世の中、不景気になってきて行政も懸命にスリムになろうとしているようにみえる。その削った部分をボランティアとかNPOで埋めて行くとう手法が流行っているように思える。たしかに「経済的」ではあるが、ボランティアとかNPOも「健全運営」をしていかないと倒産してしまう。分担するなら分担するなりのことを考えてくれないとこういう組織は干上がってしまうだろう。韓国人男性から病気になっているが、事情があって経済的に苦しく他人の保険証を使ってもいいかという質問。これは明らかな法律違反。「かわいそうに」というレベルの話ではなく、当然ながら「犯罪になるのでしてはいけない」と答えたようだが、実際には黙って使う人などいるのだろう。防ぐための策についてもうすこし考えようがないものか。たとえばどうして保険証には写真がないのだろう? 成長の早いこどもはともかく、大人なら防止策になりうると思うが。今ならたとえば日本に在住している外国人の保険証を借りれば、旅行者でも商用でやってきた人でも不法滞在者でもだれでも「被保険者」になれてしまう。あまりにもリスクマネージメントが甘すぎる。
  • 2011/9/15 14:19
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きのうの夕方、B型肝炎キャリアのペルー人のお母さんと3人のこどもがやってきた。おさらいをしておくと母親はs抗原が+、e抗原は-、3人のこどもたちは抗原に関してはいずれもs抗原-、e抗原-でs抗体に関しては長男だけ+、二男三男は-だった。母親が言うには日本に来て最初は新潟県にいて日本人と結婚して三人のこどもが生まれた。それから結婚してはいないというから、彼女が連れてきた「だんなさん」というペルー人はやはり「なんちゃってだんなさん」だったわけだ。彼女が持ってきたのは3人のこどもの母子手帳、実は出産のときに調べたら日本人のだんなさんもB型肝炎のキャリアだった、それで3人のこどもにB型肝炎の予防接種をしたはずだ、あの頃、あまり日本語が上手じゃなくてわからなかったけどたしか予防接種したと思う、母子手帳に書いてありませんかと言う。なるほど、そういうわけで母子手帳を持ってきたわけだ、なかなか賢いと思いつつ、3人のこどもの母子手帳をめくっていくと・・・・確かにB型肝炎予防ワクチンであるビームゲンの接種記録があった。そう言うと、なのにどうして長男しか抗体ができていないのかとの質問。ちゃんと接種しても100%抗体ができるとは限らないよと話したが、よくよく見ると接種の時期が初回、初回から一か月半後、初回から4か月後となっている。うーん、ビームゲンはたしか初回、初回から一か月後、初回から1年後の3回ではなかったかしらと思ったが・・どんなに強くしつこく一か月後に2回目の接種をねと話しても患者が指導の時期に来ないというのはよくあることだ。では今後、どうしたらいいの?という問いにはなかなか適切な答えが見つからない。一回が7500円の予防接種、3回で22500円、これで絶対に病気になりませんかと言われて、なりませんとは言い切れない。
  • 2011/9/14 19:50
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