AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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朝から外国人もインフルエンザでぐったり。タイ人女性、死んじゃうよう、体が痛いと泣いていた。検査したらやはりインフルエンザ、タイ語でいうペン・ワット(風邪)ではなく、カイ・ワット・ヤーイ(インフルエンザのこと、直訳すると「測ったら高熱」)になるのだろうか、死なないからだいじょうぶと話しておいた。昼から往診3人、日本人の高齢の人たち。つい先日、6年ぶりに駐車違反キップをきられた。大田区大森山王の小学校時代の同級生のお母様が具合が悪く、ちょっと診てほしいといわれ、彼の大きな家の門の中に車、2/5ぐらい入れておき、診察が終わってお茶をいだだいて外に出て来てみたら駐車禁止キップ、きられていた。ううっ、なんと言っていいのか。それで大慌てで一度は退会した医療用自動車協会に再加入した。今後、往診を頼まれそうな患者がそれなりの数いそうだから。そして再加入して駐車禁止除外車のマークを社内に置いてはじめての往診がきょうだった。やはり患者の家で診察していても、落ち着いていられる。実は外国人患者もインドシナ難民を中心に高齢者が増えつつある。これ以上、往診が増えませんように、みなさん元気でいてほしい。
  • 2012/2/17 14:39
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寒いと思ったら午前中の終りぐらいから雪、それも湿った雪ではなさそう。積もることはないと思うが寒い。小学校の1年生のころ、いなかの栗山町で冬は片道40分ぐらいかかってスキーで小学校に通っていたこともある。あんな寒いところでいったいどうやって通っていたのか、全く記憶にない。小児科からフィリピン人のこどもの肝臓の超音波検査を頼まれた。こどもというからそのつもりで待っていたら巨大なこども、13歳にしては大きすぎる。所見としてはもう誰が診ても明らかな脂肪肝。将来の肝機能が心配だ。クリニックのフィリピン人の通訳が言うには小さいころから食べるだけ与えてしまっていたらしい。
結果がこれだ。こういうケースは全く珍しくない。南米のこどもたちでもフィリピン人でも・・・・大きいことはいいことだではないといつも口をすっぱくして言うのだが。大きいほうが健康と思うのか・・成人病をせっせとつくっているようなものである。毎年毎年、医師会で外国人向けに勉強会など開催してきたつもりだが、ちっとも理解してもらっていないということだろう、残念だが。今年の外国人の健康啓蒙のための会のテーマはこれで決まりかな。
  • 2012/2/16 14:45
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きょうの午前中は大失敗。混雑の中、タイ人の患者4人来院。3人は特定健診の結果のはず、ひとりは腰痛症。特定健診の結果を通訳付きで説明して部屋の外に送りだしたら・・ひとり、最近になって頭が痛くなると目が見えなくなると前回、訴えた女性が市立病院の脳外科への紹介状が欲しいと言いだした。もう40台の終り彼女が突然片頭痛になるというのも不自然である。片頭痛はだいたいは思春期前後から始まるから。時計を見たら10時半、市立病院の外来受付時間の終りは午前11時のはず。車で運転手つきでやってきたというのであわてて紹介状を書いた。やっとまた送りだしたとおもったら通訳があと2名、同じように頭痛で市立病院で診てほしいとしいと言っているとのこと。外来患者のカルテが並ぶ中、必死にあと2名の紹介状を書いた。書き終わったらもう11時15分前、さらにさらにひとりが風邪をひいているのを言い忘れたと言う。順番を無視して大慌てで診察をして薬を書いて時計を見たら10分前、車で5分だが間に合ったのだろうか? 通訳がいるときはいつもなら順番を待っている間に用件をひとりひとり全部聞いておくのだが、きょうは通訳がやってきたときにはすでに忙しさの真っ最中だった。やはりあわててはいけない。車で運転手つきでやってきたというのは、このタイ人のおばちゃんたちがお金持ちだというわけではない。一般的にタイ人は・・・というか、このあたりに住んでいるタイ人はいなかの出身者が多く、電車での移動が苦手なのだ。それでタイ人で運転免許を持っている人を雇って連れてきてもらう。運転手もおこずかい稼ぎということである。
  • 2012/2/14 13:38
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朝からインフルエンザの患者でごった返している。泣き叫ぶこども、ぐったりするあかちゃん、いらいらして待っている親たち、予防接種をしても罹るときは罹るが可能性は低くなるし、軽く終わる。ぜひ受けておいてほしい。小児科は昼休みの12時になっても10人以上、待っていた。ラオス人のこども、フィリピン人のこども、ペルー人の親子などすごい数、ラオス人のお母さんがこどもの問診で書き込むところが書き込めない、日本語が読めないのだ。事務員が内容を日本語で話しても書けないらしいのが僕の診察室からでもわかる。とうとう部屋から出て行って僕が通訳して書き込んでしまった。医師兼通訳である。最後にタイ語で「このお医者さん好き?」とこどもに尋ねたら、「うん、好き」とラオス語で答えてくれた。うれしいねえ。もっとうれしかったのはラオス人の母親の隣のいすに座っていた日本人の母親が、微笑みながら声をかけていてくれたことだ。いつも思うのだが、日本語が上手な外国人はたくさんいる。上手になってきたら、遠くの僕のクリニックまでやってくる必要は全くない。それでも来てくれるのは一つには昔から罹っているところに行ってしまうという患者心理、もう一つは僕のところは受付の事務員から看護師、そしてこのような日本人の患者まで外国人に慣れていて、外国人がやってきても隣に座っていても日本人患者が違和感を感じないからなのだろうと思う。自分に置き換えればすぐにわかるが、もしあなたが外国に行って具合が悪くなり、病院に行ったら受付でいやな顔をされたり、怪訝な顔をされたり・・・それでもその病院に行き続けるだろうか? きっとそのあたり、人間の尊厳の話だろう。だからうちのスタッフだけじゃなくて、来てくれる日本人の患者にも感謝しなくては。こういう話は外国人患者受け入れのハードの話ではなく、ソフトの話だ。そしてこのソフトの部分がむずかしい。どうか、日本中の病院で、日本中の医療関係者にこのことを考えてもらいたい。
  • 2012/2/13 13:33
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きょう11日は土曜日の祭日、珍しい。テレビやラジオでは土曜と祭日が重なって「休み」を一日損したとコメンテーターが報じているが、それは土日が休みの週休二日の人のこと。僕のように土曜日も午後1時まで働いている人にとってはまたとない連休である。朝からなんとなく考え事をしていた。すこし外国人との結婚について書いてみよう。僕もこの道はあまりよく知らないので間違ったことを書いていたらぜひ教えていただきたい。数か月前、いつもやってくるタイ人女性佐藤○○―ンから電話があった。薬を出してほしい、友達が取りに来るというので、今どこだと尋ねたら「チャイヤブーン」と言う。チヤイヤブーンは中部タイと東北タイの中間地点のようなところで、たしか彼女の出身地だ。いつ帰るの?と尋ねてみると、帰らないという答え。要するに永久帰国だ。彼女が働いていた鶴間のタイスナック群も景気の悪化で日本人のお客が減り、タイ人そのものも減り、10年前のあの近所からはうるさいといわれながらもズンチャンズンチャンやっていた勢いはまったくない。たしかに商売にはならないだろう。彼女の場合、佐藤という名前の日本人パートナーがいた。一度、この男性がけがをしたことがあって、付き添ってきて「うちのだんな」と呼んでかいがいしく世話をしていた。保険証の名前も佐藤だったから正式に結婚していると考えるのが自然だが、それでも「お金がはいらなくなったの、さようなら」となるのだろうか? 不思議だ。彼女の仲間たちがやってきたときに尋ねてもみんな、「さあ、不思議ね、どうしてだろう?」と優等生的返事をするが、あれは事情を知っている目だ。どういういきさつがあったかは知らないが男がかわいそうにもなる。
患者の中にフィリピンに残したこどもを連れて帰ってくるフィリピーナが少なからずいる。いや、正確に言うと多い。こどもは親のそばで育つのが幸せだろうから、それ自体はなんということはない。ところがある日、気がついてしまった。フィリピン人って多くはカソリックだ。そしてカソリックは離婚が許されていないはず。ところが現実には「フィリピン人のだんなと別れて日本人と結婚して、日本でこどもを産み、しばらくしてフィリピンにいる前のだんなのこどもも引き取って・・・」というパターン、どうしてフィリピン人のだんなと離婚できたのだろう? これをクリニックのフィリピン人通訳にぶつけてみた。ちなみに彼女はフィリピンでは少数派のプロテスタントだ。「それが問題なんです」と彼女が言う。やっぱり、問題なんだな、どうして今まで教えてくれなかったんだと言いたくなるのを堪えて、続きに聞き入る。「どうしてか不思議ですよ、フィリピンでは離婚できませんから」。やっぱりそうなんだ。フィリピンの法律で離婚できないのか、カソリックの人は宗教上離婚できないというのか、そこを聞き逃してしまったが、彼女の話によると要するにこういう場合、フィリピンでは離婚が成立していない、そして日本であらためて「正式に」結婚したということになっているそうだ。まあこういう言葉を使っていいかどうかわからないが、国際的重婚ということだろう。国際的法の抜け穴だ。彼女たちが日本人のだんなと里帰りすればフィリピン人のだんながお帰りーと現れかねない状況である。それを避けるための方法は一緒に帰国しないことだ。皆さん、ちゃんと里帰りに同行しているのだろうか? タイ人の場合、戸籍は県ごとに作れるので重婚が多いと聞いた。ばれないのだ。佐藤○○ーンの場合も国際的重婚だったのだろうか?
  • 2012/2/13 9:09
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やってきた外国人患者の名前、国籍、年齢、疾患、保険の有無、住所をノートに書き、月初めに一カ月分を整理している。このノートももう開業以来164冊目、こんなことも含めてなにしろ忙しい。僕自身、AMDA国際医療情報センターや医師会の仕事をしているせいなのかもしれないが、こういう記録をこつこつと付けるのも根気がいることである。勤務医のころは開業医って勉強もせずに金勘定して週末はゴルフなんだろうなあなんて考えていた自分が恥ずかしい。ここのところ、インフルエンザの流行やほぼ毎日の医師会の仕事で、2月も9日を過ぎた昨日、やっと1月分の整理と開業以来のデータの整理が終わった。
データーに少しコメントしてみたい。新規患者数の第一位はペルー人1451人、延べの患者数も11876人で1位、ただし2000年代にものすごい勢いで増えたころに比べると鈍化している。経済の悪化で帰国した人が多いからだろう。いま、日本に残っている人たちは日本人と比較しても雇用しておきたいと思うような人たちなのかもしれない。そしてこどもが日本で大きくなり、この日本に骨をうずめることを覚悟しはじめた人たちなのだろう。2位はタイ人、新規患者数1384人、延べの患者数は5160人、すこしずつだが増え続けている。3位はフィリピン人、新規患者数で1381人、2位のタイ人とはたったの3人差、2位になるのは今月かもしれない。数年前に今のフィリピン人通訳をクリニックに雇用してからものすごい勢いで増え続け、延べの人数では9693人で一時は延べで1位のペルー人の半数ぐらいだったのに2000人差まで追い上げている。患者層が地域に密着している人たちなので、近い将来、新規患者数でも延べ患者数でも1位になるだろう。4位はベトナム人、新規患者数628人、5位はカンボジア人、新規患者数420人、12位のラオス人、新規患者数160人と合わせてこれらのインドシナ難民とその子孫は僕の外国人医療の原点である。開院当初、ベトナム語も話す中国系カンボジア人の女性を通訳に雇っていたことが大きいと思う。すでに難民一世に加え二世、三世の時代だが、日本政府が来日許可したベトナム人難民は8000人余り、そのうち3割が神奈川県にいると言われるが、神奈川県にいるベトナム人難民出身者の6人にひとりが僕の患者ということになる。カンボジア人に至ってはもっと極端だ。日本政府が来日許可したカンボジア難民はわずかに1200人、その3割が神奈川県にいるとしたらそのほとんどが僕のクリニックに通ってきていることになる。おなじインドシナ難民でもラオス人が少ないのは、開院当初、僕がタイ語、ラオス語を話せなかった、クリニックに通訳がいなかったためだろう。6位はブラジル人、新規患者350人、7位アルゼンチン、新規患者248人、ブラジル人もアルゼンチン人もペルー人同様、新規患者の伸びはきわめて鈍い。決まった固定「客」だけがやってくる。やはり景気の影響だろう。8位はアメリカ人、新規患者数239人、延べ1279人、特徴的なのは40%近くの人が日本の公的保険を持っていない。だからといって不法滞在というわけではなく、自国で民間保険会社の保険に加入しているので、日本で公的保険に加入しなくてはならない在留資格でも加入しないのだ。要するに義務であっても罰のない違反なのでとがめようがない。法の抜け穴だろう。9位は中国人、新規患者数214人、ほぼ全員がこの地域の人たちで新宿あたりとちがって留学生などというのはほとんど記憶にない。10位はスリランカ、新規患者数182人、なにをして暮らしているのだろう? 64位までコメントできないので以下、略。ごめんなさい。
そういえば7月9日から外国人登録法が廃止され、その代わり、外国人も日本人同様に市町村・区役所の住民基本台帳に載ることになったと市役所からのお知らせにあった。それにともなって外国人登録証明書がなくなり、在留カードまたは特別永住者証明書に切り替わるそうだ。
  • 2012/2/10 9:06
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昨日、夕方、医師会の会議まで向かいのイトウヨーカ堂の一階をぶらぶらしていて、そうだ健康のために野菜ジュースを買おうと棚で探してレジのところに持って行った。キャッシャーの女性は大きなマスクをつけていたのではっきりとは顔が見えなかったが、なんだか僕の顔をしげしげと見ているようであった。あまりジロジロ見てもと思い、胸元の名札をそれとなく見ると、ガブリエラと書いてある。どこかで見た名前、たぶんあの表情ではこちらの正体に気がついたにちがいない。日系人の子だろう。学校が終わってからスーパーのレジのアルバイト、当たり前だが普通のこどもだ。こういう光景がごく自然な社会にいまの日本、なっている。願わくはこういうこどもたちが差別や孤独、閉塞感を感じる社会であってはならないと思う。きょうはインフルエンザで忙しい。
  • 2012/2/9 17:20
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若いってすばらしいなと思う。きのう日経BP社の若い女性記者が取材でやってきた。そもそもは日経BP社の関連会社から外国人医療についての記事を4回分依頼されたことがきっかけであった。その担当者が元日経BP社にいたとのことで、僕が書き連ねた外国人医療のあることがらについて、元の職場に話をしてくれてそれできのう、若手の記者がやってきたというわけだ。本来の用件をまず済ませてから、外国人医療の問題点について彼女に話した。多くのマスコミの人たちは自分が聞きたいことが終わるとあとはうわのそら、難しいところにはまりたくないというのが手にとるようにわかるのだが、この彼女、違っていた。しっかり熱心にいろいろと尋ねてくる。長い間、外国人医療にかかわってきた僕からみると、明らかに彼女にはすぐには結論が出そうもないことを話しているのだが、食い下がってくる。それも激しくではなく、自然にというか、たぶんまじめに物事に取り組むタイプなのだろう。帰り際に尋ねたら早生まれの24歳、もうすぐ誕生日とのことでうちの娘と同じ年齢、誕生日も2週間ぐらいしかちがわない。わが娘も社会人としてちゃんとああいう真摯な態度で自分の仕事をこなしているのだろうか? つい心配になってしまった。
  • 2012/2/7 15:53
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午前中、インフルエンザの人の波。タイ人のお母さん、37度に達しない発熱だったのに体が痛いと言うので検査してみたらインフルエンザだった。寒川町からやってきたフィリピン人男性は頭から足の先まで左半身がしびれ感に襲われており、脳梗塞が心配という。体の頭から足まで全部左側というのも変な話なので脳梗塞はないとは思ったが、やはり血圧が170/110と高い。降圧剤を処方した。数日分処方し、次回は血圧が下がったかどうか確認するのと採血で肝機能、腎機能、コレイテロール、中性脂肪などをチェックする予定。昼休みになってからある日本人患者の家族が来院。この数日起き上がれないらしい。本人にあとで僕が往診に来てくれると話してきたとねばられた。もちろん具合が悪ければどこでも行くし、今までもそうしているが、何時ごろ来ると勝手に言われるのも困る。けっきょく午後1時半ごろ往診、そのまま入院となった。咳がひどく呼吸不全。とてもじゃないがお家では面倒見切れないだろう。それまでは面会にやってきた某医療系雑誌社の人と話をしていた。いつも医師会やこんなことで僕の昼休みは吹き飛んでしまう。
  • 2012/2/6 16:28
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 きのうはうれしいことがあった。すごくうれしいこと。診察を始めてしばらくしてカンボジア人の患者のカルテが並んだ。彼女、インドシナ難民としてご主人とともに日本にやってきたのが25年前くらい、そのとき彼ら難民の大和定住促進センターの嘱託医が僕だった。いわゆる難病を抱えていた彼女はそれ以来、ずっと今まで僕の患者でいてくれている。
 きょうはご主人もふたりの娘さんもいっしょにやってきた。せんせい、きょうはね、うれしいお知らせがあるのと言うので、まずは診察して、それから話を聞くことにした。まあこの時点で何の話かはもう想像はついたが・・・下のお嬢さんは医療関係に勤めていることもあり、ときどき母親の診察についてきて、僕とは日本語で話すが、母親とはカンボジア語で話している。上のお嬢さんは僕の記憶では母親といっしょにやってきたことは数回しかない。ということは・・・・診察が終わるのももどかしげに彼女の話が始まった。せんせい、○○ちゃんね、結婚決まったの、日本人と。○○ちゃんは照れているのか、あまりこちらを見てくれない。初めて見たときは上のお嬢さんが4歳かそんなころだった。
 日本にやってきて定住促進センターで3カ月だったか、日本についての勉強、日本語の勉強などしたうえで就職を世話してもらって退所、それから夫婦で働き続けてがんばってとうとう相模原に小さな家まで買った。朝晩、かまわずがんばって働いて、いま一番の心配は娘さんたちのことだった。僕に結婚式のスピーチをしてほしいとかで日時を確認したら、ちょうど当日、出張から昼ごろ戻る日だった。心からこの家族におめでとうと言ってあげたい。
  • 2012/2/6 9:00
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