AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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毎朝、7時にはクリニックに行き、特定健診やがん検診の結果を記入する。そうしておかないと昼休みも医師会の仕事などに追われる身、夕方の診察終了まで手がつけられない。やはり中南米系の人たちはメタボが多い。食事の内容を聞くとそれもうなづけるが、遺伝的体質もあるのだろう。きのう結果を記入したなかにブラジル人の女性がいた。40歳になったばかりで、ことしから特定健診デビューである。彼女、非常に太っていてBMIも30近い。こういうケースでは中性脂肪やLDLコレステロールが高いことが多いので、結果が出たらどういう指導をしようかと考えていた。きのうの朝、彼女の用紙が出てきたので血液データーを記入し始めたら・・・・肝機能、HDLコレステロール、LDLコレステロール、中性脂肪、腎機能、血糖値などすべて正常範囲内、それも上限ぎりぎりの「正常」ではなく、まるで正常なのである。尿検査も異常なく、心電図も異常なく、血圧も全くの正常。要するにデーター的には異常がないのである。総合結果に「異常なし」と書いてからあわてて二本線で消して「肥満」と書き直した。さてこの彼女、今週末にはやってくるはず、肥満ですと告げてもすべてのデーターは異常なく、「だからどうしたの?」と言われそうだ。肥満は見慣れているので、病気のはじめとは思ってくれない可能性が高い。また説明に悪戦苦闘することだろう。
  • 2011/9/21 8:58
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連休明けの火曜日、健診の終了が近付いていることもあっててんてこまい。タイから一時帰国した日本人患者が次回の帰国まで2ヶ月分薬を処方してほしいとやってきた。午後になっていつもやってくるタイ人女性から電話あり。薬を2ヶ月分出してほしいというのでなぜ?と尋ねたら「チャイヤブーンにいるから」という返事。彼女のタイの田舎だ。最近の電話の性能はすばらしく、隣から電話しているように聞こえる。国民保険証は変更ないよねと聞くと「ない」とのこと、友達が取りにくるというので待っていたらずくに色の浅黒い人がやってきた。タイ語で話しかけたら、「いいえ、私、日本人です」と返事。やはりアジア人、顔が似ている。僕も東南アジアを旅行していると最初に言われるのは中国人ですか? ちがうと言うと韓国人? ちがうと言うと台湾人? 台湾人じゃないというと香港? それもちがうと言うとシンガポール? 挙句はタイ人ですか?と。何かひとつ忘れていませんか? どうして日本人が出てこないのと言いたい。まあアジア人ってみんな似ているというわけだ。なぞはもうひとつ、受付の職員がうっかり「だんなさんですか?」と尋ねてしまった。なんとなく言いにくそうに「ちがいます」と答えたらしい。今回は保険証が変わっているかいないかを確認するためにこういう質問をしたわけだが、通常は無用だ。プライバシィをほじることになる。昼前にやってきた初診のフィリピン人女性、突然クラミジアの検査をしてほしいとのこと、よく見るとおなかが大きい。日本人のだんなと別れて、いまつきあっている米軍基地の中の米国籍の男性のこどもだと言うが、その男性が診察を受けたところ、クラミジアと診断され、抗生剤を内服しているらしい。検査は施行、日本人のだんなとの間にできた男の子を連れて帰って行った。もし彼女が陰性だとしたら、ではいまの彼はどこからクラミジアをもらってきたのか? そうなると結婚の話はどうなるのか? 彼女の状況を理解すればするほど、一筋縄ではいかない状況にまだ25歳の彼女がいるのがわかる。ややこしいことにならなければいいがと祈りたい。
  • 2011/9/20 19:44
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数日前に産経新聞関連の医療雑誌の編集者から突然電話をいただいた。内容は僕に任せるので僕のクリニックでの外国人の診療についてのエッセイを書いてくれという依頼だった。この「お任」については苦い思い出がある。知り合いの編集者が出版している眼科雑誌の「目」というコラムにお任せの文章を依頼されたときに、ちょっと粋な文章をと学生時代に当時の恋人と雑踏の中で待ち合わせをしたときのことを瞳というタイトルで切々と描いた。すると文章を送った直後に彼から電話があった。「先生、これは先生のことですか?すばらしい文章とは思いますが、こういう内容は別のところに出されてはいかがでしょう?」と言われてしまい、平凡な文章に書き直しせざるをえなくなってしまった。
小学生のころから作文が苦手だった。それなのに今は文章を書くことが日常的である。まあカルテを書くなんていうのも文章を書くことの一つかもしれない。あれほど文章を書くことが苦手だったのに書けるようになったのは厳しい上司のおかげだと思う。26歳で慶応大学外科学教室の胃のグループに戻ってきたとき、直属の上司が石引先生という助教授と吉野先生という講師だった。お二人とも厳しくとも心根はやさしいのだが、口から出てくる言葉は実に辛辣で若い医師を奈落の底に突き落とすには十分だった。とくに論文の書き方については徹底的に指導された。石引という文字をひっくり返すと「きびしい」となる。そう陰口をたたかれるほどであったが、あのとき、たたかれていたから苦手感もなくなったのだろう。いつのまにか後輩の学会発表や論文のチェックをするようになっていたが、その時のチェックの仕方というのがお二人に自分が指導された通りだった。先輩には感謝しなければいけない。外国人も日本人と同じ地域医療をと開業してからいろいろな書き物を依頼されるようになった。東京新聞の土曜の夕刊のコラムを半年間書いてくれと言われて引き受けたときは一か月前に言われたので連載の始まる前、その一か月間に半分以上書き溜めしておいた。ネタ切れになりそうになったこともあったが、なんとか乗り越えた。そんな僕が最初に外国人医療や日常診療のことに題材をしぼってエッセイを書いて出版したのは15年も前だった。出来上がりを見て編集者は褒めてくれたが僕の予想通り、あまり売れなかった。書けることと読者の心をとらえること、すなわち文章力があるということは別だと思い知った。その後、再びエッセイ集の出版を某雑誌社から持ちかけられたが、50近い短編を書き上げたころに会社が倒産してしまった。出版業界も大変らしい。当時、僕は神奈川県医師会の会報編集委員だった。医師会報の中にちょうどエッセイを掲載するのにぴったりの「随想」というコーナーがあって、あまり会員からの投稿もないので新しい文章と出版のために書き溜めた文章とを織り交ぜて1年に5編ほどのペースで投稿した。昨年の12月だったか、日本医事新報という老舗の雑誌の編集部から突然エッセイの原稿依頼をされた。すごく長い文章ではなかったがどうして僕のところにこういう依頼が来るのかと驚いた。それにしても今やパソコンがあって文章も書きやすい。80年ごろだと記憶しているが、論文を書いて上司に見てもらう。あそことこことこのあたりがだめ、2日後に見てあげるから持ってきなさいと言われると診療や研究が終わって自宅に戻ってから2日間に200ページ近い文章を鉛筆で書かねばならない。これを数回繰り返すと、もはや暗記できてしまう。実にいい時代になったものだ。
  • 2011/9/18 9:00
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上腕に埋め込まれた避妊用の合成樹脂のチューブを取ってほしいと長野県から予約を入れてくださっていたペルー人の患者、本当に予約通りにやってきた。カルテを見たら住所は長野県松本市。何度か近隣の病院に問い合わせても摘出を拒否されたということだが、片道4時間半かけて車でやってきてくれた。皮下を診ると2本挿入されている。局所麻酔を行ってごく小さく切開した。できるだけ目立たぬようにという配慮とこんなに簡単なのですよとアピールしたかったので。そうだなあ、たぶん5分かからずに2本とも摘出、カメラのビデオ機能で撮影させていただいた。終わったらそのまま松本までとんぼ返りとのこと。抜糸は松本で行ってもらう。こんな程度の手術で往復9時間と交通費では申し訳なく思うばかり。たしかに日本人の医師の目には珍しいものだが、局所麻酔でものの数分で摘出、縫合もたったの2針。南米の人がこれだけ日本に多いのだから摘出を願う人も少なくないはず。僕も今回で7人目か8人目くらいだろう。患者の利便性のためになんとか日本人の医師にこれについて理解してほしい。学会で発表しますなんてものじゃないし、どうしたらよいのか考えてしまう。こういうときこそマスコミの手を借りたい。
  • 2011/9/17 10:00
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きょうは外国人医療とは直接関係ないことを久しぶりに書かせてもらいたい。昨晩、大和市をはじめとする近隣4市の3医師会で広域救急体制の話し合いを持った。近隣の市のとくに小児救急が崩壊の危機、内科救急も崩壊の気配が見えている、患者の立場では「いつでもどこでも専門医に診てほしい」のだろうけど、そんなことを本当に言ったら専門医はみな過労死してしまう。その前に重症、軽症を選別するようなシステムが必要だろう。通常の会社が週休二日であるように、医師も看護師も検査技師もみな適切に休みがほしいし、休ませてあげなければ医療事故だっておこしかねない。ある病院に最近、国税庁の査察が入ったそうだ。その病院の医師から直接聞いた話だが、その病院の当直体制は実は当直ではなく、通常業務の延長であると見做されて、税金を追加徴収されたそうである。要するに地域の中核病院として救急を担っている実態が「当直ではなく通常業務のようだ」と国の機関が認めたわけである。これは税金を追加で支払うという方法でクリアしたそうだが、もし労働基準監督局がやってきて労働実態を見たら改善命令が出ることは火を見るより明らかだ。医師が急に増えない中で命令に応えるには労働時間を減らすしか方法がない。そんなことをしたら地域の救急体制が守れない。こんな中でも救急体制をなんとか守ろうとするには地域住民の理解と協力がなければできないだろう。そうでなければなんだかんだと欠点があるであろう今の救急体制さえ崩壊してしまうだろう。
ところで過労死の問題は専門医についてばかりではない。なぜ地域の休日夜間急患センターを整備してきたかというと朝から夕方まで働いている医師が夜になっても急患で起こされないように仕事の分担をしようというところから始まったと記憶している。急患で夜起こされたら睡眠不足で昼の診療をしなければならない。ところが最近の診療報酬改正を見ると、高齢者を病院から追い出して自宅で看取りをする方向への環境づくりのために訪問医療とか準夜帯、深夜帯に患者を診ることに点数をばか高くしたり、新設したりしている。診療報酬を抑えられてきた医療機関をそちらに誘導しようという厚労省の目論見なのだろう、これは開業医までをも過剰労働に追い込むものであり、なんのために今まで休日夜間急患センターを整備してきたのかに矛盾するものだ。こういう環境の中でも診療の後に午後7時から10時までかかって地域の3つの医師会のメンバーが新たな救急制度を広域で支えようと今までの互いの制度の違いを乗り越えるために努力していることをだれかにわかってもらいたい。
  • 2011/9/16 8:58
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昨日一昨日のAMDA国際医療情報センターに寄せられた相談などから2件ほど、コメントしてみたい。首都圏の某県の某課より、予防接種について外国人から相談が寄せられた場合はそちらを紹介してよいかという相談があった。もちろんかまわないが、さすが行政だ。相談を受けてその内容について我々に問い合わせると自分たちが間に入ることになり、当事者になってしまう。だから直接やりとりをしてくれということなのだろう。頭がいい。僕も互いの長所、短所、得意な分野、不得意な分野をカバーしあえばいいと思うのだが・・先方は税金で運営されている組織、こちらはいわば浄財で運営されている組織だ。「カバーしあう」というには体力がちがいすぎる。今の世の中、不景気になってきて行政も懸命にスリムになろうとしているようにみえる。その削った部分をボランティアとかNPOで埋めて行くとう手法が流行っているように思える。たしかに「経済的」ではあるが、ボランティアとかNPOも「健全運営」をしていかないと倒産してしまう。分担するなら分担するなりのことを考えてくれないとこういう組織は干上がってしまうだろう。韓国人男性から病気になっているが、事情があって経済的に苦しく他人の保険証を使ってもいいかという質問。これは明らかな法律違反。「かわいそうに」というレベルの話ではなく、当然ながら「犯罪になるのでしてはいけない」と答えたようだが、実際には黙って使う人などいるのだろう。防ぐための策についてもうすこし考えようがないものか。たとえばどうして保険証には写真がないのだろう? 成長の早いこどもはともかく、大人なら防止策になりうると思うが。今ならたとえば日本に在住している外国人の保険証を借りれば、旅行者でも商用でやってきた人でも不法滞在者でもだれでも「被保険者」になれてしまう。あまりにもリスクマネージメントが甘すぎる。
  • 2011/9/15 14:19
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きのうの夕方、B型肝炎キャリアのペルー人のお母さんと3人のこどもがやってきた。おさらいをしておくと母親はs抗原が+、e抗原は-、3人のこどもたちは抗原に関してはいずれもs抗原-、e抗原-でs抗体に関しては長男だけ+、二男三男は-だった。母親が言うには日本に来て最初は新潟県にいて日本人と結婚して三人のこどもが生まれた。それから結婚してはいないというから、彼女が連れてきた「だんなさん」というペルー人はやはり「なんちゃってだんなさん」だったわけだ。彼女が持ってきたのは3人のこどもの母子手帳、実は出産のときに調べたら日本人のだんなさんもB型肝炎のキャリアだった、それで3人のこどもにB型肝炎の予防接種をしたはずだ、あの頃、あまり日本語が上手じゃなくてわからなかったけどたしか予防接種したと思う、母子手帳に書いてありませんかと言う。なるほど、そういうわけで母子手帳を持ってきたわけだ、なかなか賢いと思いつつ、3人のこどもの母子手帳をめくっていくと・・・・確かにB型肝炎予防ワクチンであるビームゲンの接種記録があった。そう言うと、なのにどうして長男しか抗体ができていないのかとの質問。ちゃんと接種しても100%抗体ができるとは限らないよと話したが、よくよく見ると接種の時期が初回、初回から一か月半後、初回から4か月後となっている。うーん、ビームゲンはたしか初回、初回から一か月後、初回から1年後の3回ではなかったかしらと思ったが・・どんなに強くしつこく一か月後に2回目の接種をねと話しても患者が指導の時期に来ないというのはよくあることだ。では今後、どうしたらいいの?という問いにはなかなか適切な答えが見つからない。一回が7500円の予防接種、3回で22500円、これで絶対に病気になりませんかと言われて、なりませんとは言い切れない。
  • 2011/9/14 19:50
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以前は昼休みの時間帯に大腸内視鏡も行っていたが、医師会の仕事で昼休みなどないに等しい。大腸内視鏡は油断したり、時間がないとあわてると合併症を起こすことも多い検査だ。市立病院に勤務していた若い専門医がふたり相次いで開業したので僕はもう例外的に今までようすを見ていた人だけ、頼まれたら大腸内視鏡検査を行い、あとは若いばりばりのふたりに紹介させてもらっている。なのに・・・先月からやってきている横浜在住のフィリピン人女性、どうしてもここでやってほしい、通訳がいるからという。やはり英語で話しても母国語であるタガログ語で表現するのとはちがうのだろうなと思った。こういう感覚は日本人にはわからないのだろう。でせがまれてせがまれて、とうとう今日の昼休みに大腸内視鏡を行うはめになった。興奮したり、過度に痛がったりしてあばれると危険とも思ったが、思いのほか簡単にあっけなく終わってしまった。「どこに行っても検査してくれない」は大げさだとしても、ああだこうだと症状を言うとうるさい人と思われるのかもしれない。午後になってフィリピン人男性のアテロームの摘出術。アテロームの小さいものはふくろを破かずに摘出するのも比較的簡単だが・・彼のは背中の上部に直径6センチ以上に育ってしまったアテローム、だれがどう見ても摘出は大変だ。あのあたり、そもそも皮膚が厚く、おまけにあの大きさのアテロームを摘出したら大きなデッドスペースができてしまい、とてもじゃないが縫っただけでつぶすことは困難だ。切開して本体に近づくに従い、波動を感じる。案の定、一部は膿となっていた。中味を摘出してかきだしてからふくろを摘出、そして蒸留水とイソジンで何度も洗ってガーゼドレーンを挿入して荒く縫った。細かく縫えば行き場を失った細菌がまた膿になりかねない。だからあれほど「できるだけ早くやろうね」と勧めていたのに。こういう「ほおっておいても入院なんかしません」なんて病気だと決心がつかないのだろう。しかし「やりにくい」状態になってやらされる僕などたまったもんじゃない。なんで俺なんだと心でぼやきながらたっぷり40分かかってしまった。摘出手術中、ずっと彼の「ドク、ごめんなさい」を聞いていた。
  • 2011/9/13 16:56
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きのうの夕方から夜にかけての大和市医師会主催外国籍市民のための啓蒙活動、まあうまくいったかなと思う。やってきたのは中国人、フィリピン人、ペルー人、ラオス人、カンボジア人、みんななにか食べる物を持ってきてくれた。カンボジア人の方はお嬢さんとやまほどいろいろなものを作ってきてくれてありがたかった。最初に役所の人から大和市内の放射線量の測定場所、測定値についての説明、つぎに医師会の小児科の先生から市内の放射線量と健康被害についての話、みんな真剣に聞いていた。終わったところでかんたんに医療相談、医師会の外科、消化器科、整形外科、循環器内科、産婦人科、耳鼻科の各先生方が日曜の夕方の休みたい時間に来てくれた。隣接する横浜市瀬谷区で開業している僕の友人の歯科医の先生も駆けつけてくれた。その後は男性は食べ始め、女性陣は一階下の調理室でおばぁちゃま・・いえ、日本人のベテラン主婦4人の方に簡単にできる日本料理を習うということで降りて行った。あとで見にいったら、手際良く調理していた。教える方の目も生き生きしていて、体もぴしっとしていてクリニックに診察でやって来る時とはまったくちがう。やはり人間、なにか生きがいというか、そんなものがあればいいのかもしれない。調理できたものもみんなで試食、おいしかった。なにより調理を教えてくれた4人の方が楽しかったと言ってくださったことがうれしかった。こういう医師会の目に見える活動もいいじゃありませんか。会も終りになり、あと20分で片付けて会場を退去というころになってフィリピン人が大鍋いっぱいにゴノというフィリピンのお粥をつくって持ってきてくれた。フィリピン時間だからしょうがないといえばしょうがないが。もうおなかいっぱい。やむをえず、作ってくれた僕の知り合いのフィリピンレストランまで逆に運び、客と分け合って食べてきた。あんなにおいしいのに残念。
 会が始まる前、一階のロビーにいたら、先生という声、階段から降りてきたのはカンボジア人男性、彼が日本に難民として来たての25年前に胃潰瘍で僕が診ていた、そこからのつきあい。日本人の奥さんもいっしょだった。1月にはふたりでカンボジアに移住するとのこと、その前に会えてうれしかったと言ってくれた。たしかに日本はいま雇用が落ち込んでいる。カンボジアレストランを開いたものの、うまくいかずに閉店したこともある。10台で逃げざるをえなかった動乱の母国が落ち着いて帰国するわけだが、いま彼は48歳、彼が日本にいた25年間ぐらい、苦労に苦労を重ねて無駄ではないのだろうが、どうなんだろう? やはり政治と政治家の責任は重いと言わざるをえない。
  • 2011/9/12 9:14
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9月になったらまた外国人患者の数が増えてきた。金曜は18人、土曜も18人。久しぶりにやってきた中年になりかけたフィリピン人女性、以前に甲状腺機能亢進症で診ていた人だ。僕の前に座った彼女の目を見たらまっ赤っか。よく、寝られないという。おまけに保険がなくなっている。どうして?と尋ねると、だんなとけんかした、保険が○×△・・・・なにを言っているのか理解不能。わかったことは「だんながパロパロしてぇ・・・」とこのあたりから興奮状態。パロパロとは花から花へ飛びまわる蝶のこと、要するにだんなが浮気したってことだ。ふーん、じゃだんなさんのかわりに謝るから・・と言い始めたらきっと顔をあげて「せんせい、パロパロないか?」と詰問された。どうして僕に矛先が向かってくるのか・・なにしろ全く寝られないというので眠剤を処方、飲みすぎないようにと注意しておいた。きょうはベトナム人の通訳がやってくるのでベトナム人患者が多い。待合室は日本語に英語にベトナム語にスペイン語、タガログ語の嵐。タガログ語の通訳担当の職員は診察終了後にあすの医師会の外国人向け医療啓蒙活動の中の日本の家庭料理教室の材料を買いに、おばちゃま先生と数人の外国人女性と楽しそうに出かけて行った。僕は夕方6時から新宿で外科の同級生の年に一回の集まりに行く。僕らは医学部の53回生なのだが、卒業したてのころ、酒癖が悪く暴れまわって先輩諸先生に「ごみのような連中」と呼ばれていた。その「ゴミ」と53回生をかけあわせて「ごみの会」という。数ヶ月前に、大学に残っていた一人が亡くなってしまった。はじめての物故者。残るみんなは元気でいてほしい。
  • 2011/9/11 9:10
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