AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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20170407のエントリ

カンボジア人女性78歳、高血圧で治療中、次に診察した日本人女性に「先生、さっきまで目の前に座っていた人、やさしい人ね、どこの人?」と言われた。もともとカンボジア難民として日本政府に受け入れられた1000人余の一人で、彼らを受け入れる定住促進センターの嘱託医を兼務していた僕にとっては同志のような気がする人たちの一人だ。40台になって来日して勉強したにしては上手な日本語だ。彼女たちが逃げ出したころのカンボジアはポルポト政権下で、原始共産制を礼賛、貨幣を廃止し、農業だけが労働という考えのもと、プノンペンなどに住む都会の人々を集団でいなかに連れて行き、肉体労働に従事させた。朝、起きたら昨日のことは夢だったなんてことがあるのではないかと何度も思ったそうだ。その中で、医師、看護師、教師、銀行員などいわゆる知識階級とよばれる人たちを徹底的に弾圧、一家ごと処刑した。仕事がわかると殺されると思った人々は口をつぐんだり、虚偽の申請をしたりしたのだが、そういうときは子供だけを呼んで、両親の仕事を尋ねたという。こどもは嘘を言わない、復讐を恐れ、こどもも含めて一家ごと殺した。結婚は党の命令による強制結婚だけとなり、それに逆らう者も処刑された。ポルポト政権下では数百万人が殺されたと言われ、たぶん今のカンボジアの人口構成でみると40台、50台の人が極端に少ないのではないかと思う。難民として日本に合法的に受け入れられたカンボジア人は東にタイとの国境を越えて、人に見つからぬよう、昼はジャングルに隠れ、夜はそのジャングルの中を歩き、サケオ県のカオイダン難民キャンプにたどり着いた人たちだ。カンボジアとの国境があるサケオや北のブリラム、スリン、シーサケット等の各県にはカンボジア語を話すカンボジア系のタイ人も多く、彼らをかくまった人たちも多いと聞いた。午前中にさらにカンボジア人女性81歳、娘さんに連れられて現れた。精神科疾患もあるのだが、日本語が話せず、僕でなくてはだめということで長年拝見している。
  • 2017/4/7 9:10
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