AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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201603のエントリ

昼休みも近くなってフィリピン人男性27歳来院。クリニックのフィリピン人通訳スタッフが言うには「痛くていすに座れない」とのこと。まず頭に浮かべるのは痔核いわゆるいぼ痔で血栓で腫れあがったひどいタイプあるいは肛門周囲膿瘍という痔ろうの初期の形態だ。ベッドに横になって見せてほしいと話しても、なぜか下向きになってしまい、横を向いてくれない。いずれにしてもなんらかの処置が必要になるだろうと奥の小外科のベットに移動してもらってから診察した。ズボンをおろすと臀部の右側に大きな発赤と腫れがあった。触るとうめき声をあげる。これは感染性のアテロームにちがいないと考えた。局所麻酔で切開し、膿を出さねばならないが、このあたりは皮膚も厚く、ある程度の深さまで切り込まないと膿瘍に達しないこともあり、やっかいだ。ここまで話をして注射器に局所麻酔液を吸い上げているのを彼が横目で見た。そのとたんに号泣、フィリピン人通訳にしがみついて泣いている。フィリピン人は注射に弱いのか、採血をしようとすると大騒ぎする女性はときどきだが見かける。こんな時は大変でスタッフの誰かが腕を押さえつけていないと、注射の針が刺さったとたんに腕を引き抜いて血液が飛び散った苦い経験もある。ただ成人男性にここまで泣かれたことはない。そして局所に注射。泣き声はピークに達したが、その後は局麻が効いたのか、おとなしく切開をさせてくれた。昼休みになって徒歩2分のスーパーのレジでお弁当代を支払っていたら、この彼がにこっとしながら横を通った。先ほどまでの痛みでようやく歩いている感じとはほど遠いスタスタとした歩き方。よかった。
  • 2016/3/15 9:00
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3月も中旬にさしかかろうというのにまだ寒い。タイ人女性63歳、高血圧で来院。カルテが並んだところで看護師が一言。「先生、○○さん、来ましたよ。いつもソーセージ持ってきてくれる人ですよ」と。ソーセージではなく、ネーンというたしか豚肉で作ったソーセージのようなものだが、香辛料の臭いがすごい奴だ。僕は好きだし、酒のつまみにも最高。タイ料理店でも高級店にはないかもしれないが、「町のタイ料理店」ならメニューにもある可能性が高い。彼女が診察室に行ってくる。サバイディ ボーと東北タイの言葉であいさつすると、満面の笑みで「サバイディ チャー」と返してくる。そう、僕はうっかり東北タイの田舎の言葉であいさつしたが、彼女は北タイ、パヤオの出身だ。「チャー」は北タイ。方言、ここで気がついた。椅子に座るとなにやら鞄をごそごそ、そして取り出したのは新聞紙にくるまれたネーン数本。おいしそう。いただいてからの診察も無事に終えて帰って行った。いただいたソーセージ、冷蔵庫に入れておきますよと看護師の声。土曜の仕事は午後1時まで。1時半ごろ、仕事を終えて車を走らせていると看護師から電話が入った。「先生、ソーセージ、冷蔵庫に入ったままですよ」、そう、姿が見えなくなるとすぐに忘れてしまう。「食べたいという人、みんなで分けて持って帰って食べてね」とスタッフに押し付けてしまった。食べての感想を聞くのが楽しみだ。
  • 2016/3/14 9:00
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54歳アメリカ人女性、夕方やってきた。米軍基地内の医療機関を受診し、その結果を僕に知らせようとやってきたようだ。「ようだ」というのも精神疾患のために受診目的さえはっきりと表現できない。ひととおり話を聞いたが、家人から聞いている話とはだいぶちがう。結局、ひとしきり話して帰って行った。僕には何のことなのか、何が真実なのかわからないままだ。以前にも話だけ聞いた時があり、その時に診察料(再診料)を帰りに受付で請求したら、興奮して怒って帰ってしまったことがある。昨日は過去を踏まえてただの報告として費用は請求しなかった。請求するのが本来なのだろうが・・・
最近のAMDA国際医療情報センターへの電話相談の中に日本に行って治療したいが、こういう病あるいは症状ならどこの病院がいいのか紹介してほしいという海外からの問い合わせ、日本にいる親族からの問い合わせが増えている。こういう場合、外務省の医療ビザのことをまず紹介しているようだ。それでいいと思う。医療ビザでの治療は温泉での湯池療法まで含まれ、また一人で来日できない人のために付き添いの人のビザまで発給される。なによりも医療ビザの発給条件を満たす人に限定することにより、医療機関における医療費のトラブルを防ごうとしているのではないかと僕には思える。たしか発給条件の中に一種の財産証明のようなものがあったと記憶している。ところが中には医療機関名を教えろとの一点張りの人がいるらしい。それでも教えてはならないと思うのはもし相談者がAMDA国際医療情報センターに紹介されたと言って医療機関を受診し、そこで結果的に医療費の未納を作ったとしたら・・・医療機関は経営的な損失を被り、その矛先をAMDA国際医療情報センターに向ける可能性が高い。そのような状況の中ではAMDA国際医療情報センターの医療機関における評価は落ち、決定的に信頼度が薄れるだろう。
昨日、法務省から発表された平成27年末の在日外国人に関する速報値では、在留カードを所持している外国人は223万2189人で、過去最多だった平成06年を抜いて過去最多になったそうだ。これはわが国人口の1.76%に該当する。それとともに不法滞在の人数も6万数千人と久しぶりに増加に転じたということだった。外国人が日本を訪問しやすいように在留要件を緩和すると、日本にやってくる外国人は増加するものの、こういう負の面も増加するのはやむをえないし、法務省も理解はしているとは思う。しかし医療機関でのとくに医療費のトラブルは増やしてはならないと強く思う。
  • 2016/3/12 9:00
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フィリピン人女性35歳、発熱と体の痛みでやってきた。咳は少々。まずはインフルエンザの検査を行った。検査を終えると「ああ、インフルエンザだったらどうしよう。来週卒業式だし・・」とつぶやいた。ちょうど夕方時でほかに待っている患者がいなかったので、検査の結果が出るまでの短い間、話をした。小学6年生の息子がいて卒業式が来週なのだそうだ。なのに「悲しいよ。ドク」と言う。耳の聞き間違いかと思ったが、たしかに悲しいと言った。どうして悲しいの?と尋ねると・・あんなに小さくてかわいかったのに、もう私の耳のところぐらいまで背が高くなって・・・との返事。これって当たり前の成長だ。いつまでも親の思うとおりにはならないよ、もうすぐ反抗期が来るよと返すと、「もう反抗してる」と言う。反抗するとついつい叩いてしまうそうだ。親だからなのだろうが、そういう「叩き」を続けると自分のほうが体力があると悟った時、親に暴力をふるうこともあるから、今叩いてはもうだめと諭した。「夜7時ごろまで帰ってこないし、どこに行っていたの?と聞いても答えないし、頭がよくて携帯のGPSも消してあるんだよ」と不安そうな眼差しになる。男だから俺はだいじょうぶと言うそうだ。昨今のいろいろな事件を見ていると男の子だからだいじょうぶなんてことはない。親だから信用はしていても心配してる、大切なこどもなんだからと伝えておくだけでもいいんじゃないかと話したところでインフルエンザ検査の結果が出た。陰性だった。よかった、卒業式出られる、ありがとう、ドクと体調が悪いのに満面の笑みで席を立って行った。
  • 2016/3/11 9:00
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AMDA国際医療情報センターはこの4月に設立25周年を迎える。任意団体として設立して四半世紀、ここまでよくがんばってこられたものだと思う。ここに至る過程は困難の連続、いばらの道と言ってもよいだろう。海のものとも山のものともつかない組織であった立ち上げのころから支えてくださった協力医、通訳相談員、事務局の皆さんには心から感謝を申し上げたい。この組織の青写真を書き、資金集めを行い、任意団体としての設立時には代表として、非営利活動法人となってからは理事長としてかかわってきた私にとってはこどものような存在でいとおしい。途中、現役の事務局長を病で亡くすなどつらいできごともあったが、乗り越えてくることができたのも今、かかわってくださるすべての方の尽力の賜物といつも心に刻んでいる。事務局の調べではすでにAMDA国際医療情報センターとして受けた相談件数は8万件を超えたそうだ。AMDA国際医療情報センターの名称と電話番号は多くの地方自治体等の在日外国人関連の小雑誌、パンフレットに掲載されている。ひとつひとつに懇切丁寧に向かい合った結果が今の信用と信頼に結び付いたのだろうと、とくに通訳相談員と事務局の皆さんには格別な感謝の意を表したい。外国人観光客の増加にも影響されているのか、毎日、かってないほどの相談が寄せられ、この本来の仕事をこなすことに精力的に向かい合っていることから、25周年の式典は省かせていただくことにしたしだいだ。30年の式典はぜひ盛大に行いたいと思う。
  • 2016/3/10 9:00
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この時期になってフィリピン人のお子さん二人がB型インフルエンザ、40度の発熱。来季からぜひ予防接種を受けてほしい。予防接種を受けてもインフルエンザに罹ってしまうことはあるが、予防接種を受けていない人より明らかに軽い症状で終わってしまう。ベトナム人の高校生17歳。特発性振戦の内服薬を取りにやってきた。17歳でこの疾患とは当初信じられなかったが、神経内科の専門医に診てもらったところ、まちがいなく特発性振戦だろうということだった。内服薬を処方すると、たしかに緊張時の手の震えは止まった。昨日で学校の試験が終わったそうだ。どうだった?と尋ねると、「世界史以外は全滅です」と笑っていた。世界史はそんなに得意なの?とさらに尋ねると「いつも90点以上」とのこと。彼から見た日本の世界史教科書はどのように映っているのだろう?もしかしてすでに日本人的感覚になっていて特に違和感なく受け入れているのだろうか?と尋ねたい気持ちもあったが、ここでやめた。最近の世界史教科書など読んだこともないが、現代史の中で彼の家族が故国を脱出することになったベトナム戦争やインドシナ難民が発生したこと、そして日本の現代史とも結びつくが、約8000人のベトナム人難民、約1000人のカンボジア難民、ラオス難民が70年代から80年代にかけて合法的にこの日本に受け入れられ、神奈川県の県央地域を中心に生活をしていることなど、触れられているのかと気になった。このインドシナ難民の受け入れはわが国の現代史の中では特記すべきことだと思う。少子高齢化に伴い、外国人労働者を今後合法的に受け入れようという方向に舵をきっている日本、外国人を受け入れた場合に地域の中でどのような混乱が起き、それはどのように克服できたのか、課題はまだ残っているのか、こういうわが国としての極めて大切な貴重な経験があのインドシナ難民受け入れ事業ではなかったかと、携わった者の一人として思う。こういう「歴史」が日本の歴史教科書に載っていないとしたら、それこそが問題だろう。なぜなら史実として日本の中に語り継がれることがないからだ。
  • 2016/3/8 9:00
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少し暖かくなってきた。考えてみたらあと3週間ぐらいで桜が咲く。幼いころをすごした北海道栗山町でのお花見をまだ思い出す。たぶん4歳かそれぐらいだったと思う。今はなくなってしまった夕張鉄道のジーゼルカーに乗って夕張本町方面に向かう。鹿ノ谷だったか忘れてしまったが、スイッチバックで夕張山地を登って行くところがあり、そのあたりで紅白の幕をひいて桜の花を見た。遠い思い出。7歳のフィリピン人男児、左の腋の下に発赤したしこりがあり、表面がびらん状態になっている。見せてと言うのだが、痛いのか怖いのか、なかなか見せてくれない。ようやく見せてもらえたが、リンパ節なのかどうか、触ろうとすると激しく抵抗。泣き始めて母親が説得しようとするが、もはや手がつけられなくなってしまった。こういう子供を見ていて不思議と腹がたたない。なぜかというと・・・ここまではないものの僕も医者嫌いだった。臆病だったのだ。田舎の栗山では親戚中が知っていた。こどもが医師を、あるいは注射など医療行為を怖がり、いやがるのは当たり前。大人は嫌いでも理性で抑えるが、理性の発達がまだないこどもでは嫌いという感情がストレートに出る。よくこどもに「○○をするとお医者さんに怒られるよ」とか「お医者さんに注射されるよ」とか言う母親がいるが、なまはげじゃあるまいし、あれはやめてほしい。こどもの医師に対する恐怖心をあおるだけ。治療はするべき理由があってしているのである。悪いことは悪い理由を教えてあげてほしい。大学病院に勤務していたころ、僕が外来の廊下を歩いていると、「ほら、そんなことしているとお医者さんに怒られるよ」と言った母親がいて、僕は歩みを止めてそういう表現はしないでほしいと母親に「説教」してしまった。
  • 2016/3/7 9:00
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ベトナム人女性40台、ひどい偏頭痛で初診からすでに15年ほど経過している。今から数年前にある事件で逮捕され、有罪となって拘留されていた。この事件のことは新聞で知った。もう来ないだろうと思っていたら刑期を終えた直後にやってきた。言葉の問題などでほかに行くところがないのだろう。でも僕とは顔を合わそうとしない。受付で薬の処方を頼むだけ。ベトナム人の通訳がやってくる日、ベトナム人の患者が「まとめて」やってくるが、こういう日にも決してやってこない。顔を合わせたくないのだろう。ラオス人男性49歳、数年前から1か月に2回か3回か頭痛があったが、この1か月ぐらい毎日2回ぐらいの頻度になっているという。吐き気、嘔吐はないが、まずは脳の中に器質的疾患がないかどうか、近くの公立病院の脳外科に紹介状を書いた。60台のフィリピン人男性、高血圧で遠方から通ってくる。初診のときから日本政府との裁判を抱えている。具体的な内容は一度、話してくれたが、どこに争点があるのか理解できなかった。彼も日本にやってきてすでに40年近く。母国で暮らしたのは20と数年。母国の家族のために働いている。この間、帰国歴なし。こうなると家族って何なんだろうと思ってしまうとともに、海外への出稼ぎがない国に生まれたことへの幸せを感じる。
  • 2016/3/5 9:00
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アメリカ人女性54歳、統合失調症がある。そもそも米軍病院を含め、数か所の医療機関を消化管症状で受診していた。あるとき基地の中の診療所の通訳の女性が僕に連絡をしてきて、だれかが真ん中に立って調整役をしないと有効な治療が行えない、その調整役に自分がなるので診てほしいと連絡をしてきた。まずは精神科疾患を安定状態にしなくてはと日本側の精神科病院に入院してもらい、よくなったところで消化管疾患は僕のところで診るということになった。精神科病院を退院したころは非常によくなっていてこれならいけるぞと思っていた矢先、この調整役の女性が退職してしまった。それからというもの、何がどうなっているのかがわからない。2月になって本人が言うには下血があるなど、消化管の状況が悪くなり、頻回にやってくるようになった。そのときに米軍の関連施設で副腎皮質ホルモンの投与を受けていることをはじめて知った。これも何のために投与しているのかがわからない。こうなると受診してもらってもどのようにしてさしあげれば有効な医療なのかが皆目見当がつかない。昨日も夕方やってきて背中を抑えて痛い痛いと泣いていたので鎮痛剤の座薬を処方したが、いらない、いつものブスコパンが欲しいと言い、処方をすると帰って行った。こんなことがいつまで続くのだろう。
  • 2016/3/4 9:00
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3月になり、花粉症でやってくる人が一気に増えた。今週末すなわちあと数日で春らしくなるらしい。待ち遠しい。カナダ人男性47歳、相当流ちょうな日本語を話す。受付から痔がどうのこうのと英語で話す声が聞こえていたので、受診理由はすぐにわかった。拝見して痔の程度について告げたところ、すでに数件の痔の専門医または専門病院と言われるところを受診していて、セカンド オピニオンを求めてやってきたのだと話してくれた。一度は結紮手術を受けていて、すなわち再発してきたということだ。昔の知識なら許してほしいが痔の手術は長い目で見ると再発が少なくない。しかも痔の程度がそんなにひどくはない。そこで痔がひどいときのみ、座薬を使うことを勧めた。では処方をしてくれと言い、なぜだかわからないがいたく感激して帰って行った。昨日「AMDA国際医療情報センター」で検索してみると、実は多くの件数がひっかかった。ずいぶん公的機関や準公的機関の印刷物、ホームページにも掲載されているようで、うれしい反面、責任も感じる。理事長としては募金箱をおいてくださるとか、相談電話に連携して診察してくださるとか、こういう組織運営のための協力の申し出をぜひいただきたいと願う。
  • 2016/3/3 9:00
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