AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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201211のエントリ

カンボジア人のおばあちゃま、風邪をひいてやってきた。たしかご兄弟とは潮州語で話していたが、きょうはお嫁さんが付き添っていたせいか、カンボジア語で話していた。高齢になっても小さい時からのバイリンガルは衰えるものではないらしい。以前、ずっと前に広東系華僑のベトナム人女性が脳卒中となり、当時雇用していたカンボジア人通訳が広東系であることから、通訳付きで往診していた。この方はけっきょく数年後にベトナムに帰って行った。難民として合法的に日本政府に許可されて先にやってきたお子さんが数人神奈川と東京にいたが、彼らとて必死に働かねばならない。けっきょく、世話を押し付けられた長男が「放りだして」しまった。あるとき、往診に行ったら「きょうでけっこうです。あしたベトナムに帰る」と言われてしまった。半身麻痺で一人では歩けないのにどうするのかと思ったが、当時はベトナム行きの直行便が成田からはなかったので、バンコックまでこどもの一人がついていくとのことだった。ではバンコックからホーチーミン(サイゴン)までひとりなの?と尋ねたら、そうと言うので仰天した。発声さえうまくできないのに・・・
けっきょく、この患者はなぜか無事に目的地について親族のところに落ち着き、そう数年後に二度目の発作で亡くなられた。このように具合が悪くなると母国に帰る難民出身者がいる半面、母国に親族がもういない人たちや、インドシナ難民出身者ではなく日本人と結婚した外国人など、しだいに高齢化してきている。高齢化すると後から覚えた言語は忘れ、昔から自分が使っていた言葉が残る。すなわち日本語はわからなくなってしまうということだ。こういう人たちが介護保険のお世話になる日がもう目の前に来ている。いざとなったとき、言葉も含めて彼らをケアする体制がとれるのだろうか?
  • 2012/11/30 14:30
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まだ11月だというのに朝、車の中で外の温度を見たら3度。真冬と同じ。これじゃ感染性腸炎も風邪も流行るはずだ。感染性腸炎といえば、吐き気と下痢で初診で市の南部からやってきた若い女性、名字は沖縄風なので、日系の南米の人かと思ったらちがっていた。お父さんは中国系スパニッシュだそうで、お母さんは日本人だそうだ。それでもって国籍を尋ねたらUSA、大きくなったのはフィリピンだそうで・・・母国語というか母語は何かというとタガログ語と英語という返事。普通は両親のことを聞くとあまり深く聞かなくてもその人の先祖からの「民族移動」の歴史が容易に想像できるのだが・・・こうなるともはやわからない。やはり母国語なる表現は正しくはないのだろう。Mother tongueを訳せば自分が一番使いなれた言語、すなわち母語と表現すべきなのだろう。この彼女、そういえば日本語では話さなかった。きのうで11月も18日診療を行ったが、やってきた外国人は初診11人、延べ212人、多い。昼休みにホームページの更新作業を行った。毎月更新するのは2カ月先までの診療情報とベトナム人の通訳がやってくる日時について。昼休み、面会者が多くて忙しかったが無事終わった。早朝、シャッターをあける前にひとり、午前中に診療しながら胃の内視鏡検査を3人、そして午後は同じく診療しながら2人、計6人。いまは電子スコープで目も疲れないが、その昔、ファイバースコープだったころは狭い視野で覗くので一日終わると目が疲れきったものだが。
  • 2012/11/29 16:29
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フィリピン人女性55歳、中性脂肪とLDLコレステロールが高くて、一ヶ月半ほど食事療法を行ってもらって先週採血した。こわごわ結果を聞きにやってきたが、両方とも正常範囲に収まっていた。よろこんで帰ったが、クリスマスが近付くに従ってあちらこちらでフィリピン人のパーテイで集まる。ここでまた増えなければいいが。カンボジア人女性42歳、先週の土曜日にB型インフルエンザと判明したカンボジア人の友達。発熱とだるさでやってきた。きのうからということなので念のため、インフルエンザの検査を行ったが陰性だった。こどもを連れているパキスタン人の若いお母さん、隣の市の住人だがきのう具合が悪くてこちらの市の休日夜間急患診療所を受診したら、あすは僕のところに行くように言われたとのこと。感染性腸炎、それも軽症。吐いたので心配になったらしい。ご主人も彼女も僕のところで見掛けるパキスタン人とは顔がなんとなく異なるので、尋ねたところ、もともとは祖先はインドに住んでいてイギリスから独立するときにインドから移り住んだということだ。カラチにはこういう人たちがたくさんいるらしい。たしかNHKのテレビで見たことがあるが、イギリスからインド、パキスタンが独立するときに東西パキスタンはイスラム教の国として、インドはヒンズーや仏教の国として独立した。その中でインドとして独立する地域に住んでいたイスラム教徒は東西パキスタンとして独立する地域へ大移動、逆に東西パキスタンとして独立する地域に住んでいた仏教徒、ヒンズー教徒はインドとして独立する地域に大移動した。だから彼らのような人たちがいるわけだが、一方、宗教がちがう国になっても生まれた土地にいると決めて移動しなかった人たちもいた。それが現在はイスラム教の国の中の少数仏教徒、ヒンズー教徒として、仏教、ヒンズー教の口の中のイスラム教徒としてなにかことがあるたびに地域の騒動のもとになっている。宗教とはむずかしいものだ。
  • 2012/11/27 13:24
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寒い雨、外国人患者も少ないだろうと思っていたら、月曜のためかたくさんの方がやってきた。ペルー人43歳男性、おしりが痛いと言う。どうぞといすをすすめてもいわゆる女座りをしている。ちょこんと足を横に出してイスにちゃんと座れないでいる。こういう場合、いわゆるいぼ痔がひどいか、肛門周囲膿瘍かどちらかである可能性がきわめて高い。熱もないということなので前者だろうと思って横を向いてもらって肛門をチェックしたら、血のかたまりができて急にいぼ痔が悪くなったものだった。これは痛い。正式には血栓性外痔核という。いぼ痔用のクリームと内服薬を処方。患者には悪いが、大男がしょげかえってチョコンと座っている様はなんだかおかしかった。フィリピン人女性30歳、のどが痛いと来院、痰もせきもあるとのこと、きのうは高熱が出たらしい。のどをのぞくと両側がやや赤い。もしやと思って溶色連鎖球菌の検査を行ったらすぐに陽性反応。これも痛いはずだ。もともとがこどもの病気なので小児科へ。午後になってやってきたフィリピン人女性47歳、高血圧で拝見していてきょうも血圧をチェックして処方を書いていたら・・・「センセイ、ムスメがモデルに合格したのよ」と話し始めた。12月17日から契約になるのだが、そのために東京でひとり住まいをするのが心配らしい。たしかにハーフのお嬢ちゃんで高校生ぐらいの年の子がいたと思いだした。すらっとしていてなかなの美人だった気がする。いまのうちにサインでももらっておこうかなんて思ったりした。ペルー人の女性、60歳、高血圧で治療していて、つぎに来た時にインフルエンザの予防接種をしたい、予約したいと話すので、それでは12月末になる、もうインフルエンザが流行っているかもしれないし、予防接種してから効果が出るまで2週間ぐらいはかかるので、きょうやろうねと話してワクチン接種をすませた。
  • 2012/11/26 17:32
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 木曜日の午後から県医師会の会長会に出かけたので、留守中にいらっしゃった患者のカルテの整理などしようと、きのうの金曜祭日の遅い朝、クリニックにやってきた。その途中、車を運転していて自宅の火災保険の来年分の請求書が来ていることを思い出し、いつもは入ったことがないクリニックからほど近いローソンに寄り、掛け金を払おうとしたら女性の店員がにこにこしている。「こばやしせんせいですよね、わたし覚えていますか?」と言われた。よくみたらいつもやってくるカンボジア人のおばあちゃまのお嫁さんだった。おばあちゃんはインドシナ難民として日本にやってきた華僑系カンボジア人で潮州語を話す。たしかお嫁さんも同じ潮州語を話したと思う。彼女はインドシナ難民としてではなく、息子さんのお嫁さんとして日本にやってきて10年はたっていないはずだが・・・ときどきおばあちゃんの病状がややこしい時に付き添いを兼ねた通訳としてやってくる。そうか、あの日本語の上達の早さはローソンで働いていたからなのかとなんとなく納得した。近くに住んでいるにちがいない。それにしてもどこに人の目があるかわからない。恥ずかしい一方でちょっとうれしくもあった。同じきのうの早朝、今は亡き僕の台湾の親友のお母様が亡くなったと日本にいる一族の人からメールと電話があった。僕のことをわが子のように可愛がってくれた。若いころはいつも東南アジアに出かけると一泊でも台湾に寄ってお会いしていた。ことしの2月、ひさしぶりにお会いするために台北に行ったが、認知症になり、鼻から経管栄養チューブが入っていた。ソファーに座って手を握ってさしあげても顔の表情がない。それでも何分かに一回、正気に戻ったように僕の顔を覗き込んで微笑まれる、それも1分と続かない。帰ろうとソファーを立ち上がったら、昔のようなやさしい目で、日本語でたしかに「元気で・・」とおっしゃった。あの日の台北もきょうと同じ冷たい雨だった。台北に行こうにも年末を控えてこの時期、休診日の土曜の午後、日曜そして水曜とぎっしりと自分ひとりではどうにもできない用事が入っている。
 きょうは朝8時45分から午後1時20分まで診察、ずっと切れ間なく、間に内視鏡検査3人。疲れた。カンボジア人が珍しくトップで9人、ひとりは高熱で来院、インフルエンザB型だった。ベトナム人4人、フィリピン、中国2人ずつ、アルゼンチン、アメリカ、ブラジル、タイ人1人、計21人。タイ人は一昨日電話があった女性、僕のタイ語でわからない、込み入った話は電話で通訳に入ってもらいながら話をした。来週再診。
  • 2012/11/24 13:30
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朝一番、職員が「タイ大使館に紹介されて受診したいタイ人から電話がかかってきている。気持ちが悪いらしい」と言う。看護師が電話を代わると日本人男性が電話してきたことがわかった。隣のF市にいるとのこと、タイからやってきて1ヶ月、通訳を入れずにタイ語で受診したいとして探し回ったらしい。医師会から急ぎの用事のメールも入って来るので診察中はいつもパソコン オンにしている。診察をはじめてすぐ、きのうのAMDA国際医療情報センター東京からの日誌が送られてきて、読んだらこのタイ人のケースが書いてあった。うちのセンターにも相談したらしい。きょうは午後から県医師会の会長会、衆議院選を控えて医師連盟の会議などあるので、午後からと言われると困るなと思っていたら「あさっての土曜日に行く」とのことだった。通訳が入ってほしくないというのは、電話してきた男性に知られたくないと言うのか、あるいはへたな通訳では誤訳されてしまうからいやと言っているのか・・いずれにしてもあさってになったらわかるだろう。ガーナ人男性、高血圧で来院。すいていたのに診察室に入ろうとせずに「薬だけ」と言う。しょうがないので待合室まで行って元気なことを確認して処方したが・・・どうして入ってこないのだろう?不思議。フィリピン人女性ひとりは高血圧、ひとりは高脂血症、ちゃんと内服続けてくれるよう、頼んだ。
  • 2012/11/22 12:58
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カンボジア人女性72歳、いわゆる風邪ひき。同じカンボジア人のお嫁さんがついてきた。きょうの朝は寒かったが、厚手のものを全部重ね着しているような感じで、たぶん寒かったのだろう。フィリピン人女性47歳も風邪。声がおかしい。そして初診の日系ブラジル人男性も風邪。まだインフルエンザは流行っていないが、先週あたりから風邪ひきはすごく多くなった。日系ブラジル人の男性のカルテ、最初は鉛筆でフィリピンと書いてあった。一応、国籍は尋ねておく。でも・・・発音がフィリピン人の話す日本語より南米の人が話す日本語にイントネーションが似ている。もしかしたらと思って尋ねてみたらブラジル出身だった。なんだかどこかで聞いた名前だと思って考えていたら、後ろから小さなこどもが入って来た。こどもの顔に見覚えがある。ママはフィリピン人だ。たしかフィリピン人のママが「だんなが家庭内暴力をふるうので別れた。ビザの関係上、こどもを連れていかれてしまうかもしれない」と相談に来たことがあるのを思い出した。日本の法律上は離婚したと話していた。そういう男かという目つきでついつい見てしまったが、こういう話は一方の話だけ聞いてもわからない。人間というものは自分に不利な話はしないものだから。
中立を保つのはむずかしい。午後になってフィリピン人のお母さんとこどもの嵐。その中に先月頚腺結核を疑って2週間だけ処方したまま、来院しなくなった女性がいた。風邪の診察をしながら前回腫脹していた頚部リンパ節のあたりを触ると「もうないよ、せんせい」と言う。でもよく触ると前回よりも小さいが、同じところにかたいリンパ節がある。明らかに私は結核ではないのよという態度。もしそうならいずれ腫れてくるだろうと思い、その話をしたら・・・帰り際、「こんど、介護施設で働くことになったので・・」と言いだした。こりゃまずいことになったと思ったが、聞く耳を持たないのではしょうがない。どうしたらいいのだろう?4時過ぎてから日系ペルー人のおばあちゃま、インフルエンザの予防接種で来院。娘さんが言うには「ペルーから戻って来るおねえちゃんを迎えに成田に行ったら突然ママがいっしょに出てきた。だれも知らなかった。おねえちゃんが「はい、おみやげ」と言った」とお母さんを抱きしめながらうれしそうにほほ笑んだ。
  • 2012/11/20 16:32
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きのう18日日曜日の夜、休日夜間急患診療所の当番を務めてきた。皆さんの中にも開業医は楽だと思っている方がいるかもしれないが(僕も勤務医のころはそう思っていた)、日曜の夜に63歳にもなって働いている人はそう多くはないんじゃないかな。おまけに次の日、きょうは朝から夜まで仕事。現役外科医のころはもっとハチャメチャに働いていた。72時間ぶっ続けで働いていたこともあるし、手術が続いて家に帰れないこともあった。当時は「警察官と消防署とお前たちには基本的人権はないんだ」と上司に言われ、そんなものかと思っていた。同級生の外科医も一部国立病院に勤務していた仲間を除けば、みなこんな生活をしていたから。話がそれてしまったが、昨晩は20人ほど患者がやってきたが、午後10時から続けて3人外国人が続いた。最初が隣の綾瀬市からこどもを連れてやってきたベトナム人、次があかちゃんを連れたフィリピン人、このお母さんは結婚前にときどき僕のところにやってきた人だった。向こうもびっくりしていた。そしてペルー人。ようやくというかやっとというか、夜や休日に病気になったらどこに行ったらいいのかということが外国籍住民にも理解されてきたのだろう。休日夜間急患診療所が以前の場所から今の場所に新しく開設されたとき、市役所が外国人向けにこのような案内をしなかったので医師会が通訳付きで外国人の人たちに対して啓蒙活動を行ったその成果かもしれない。たしかに以前は休日夜間急患診療所で外国人を見掛けることは極端になかったと思う。こういう日常の生活に大切な情報は外国人に対してもしっかり伝えなければならない。というか、外国籍住民が6%以上占める自治体で、命に必要な、日本人には伝えられている生活情報をどうして伝えようとしないのか、そこが理解できまい。
  • 2012/11/19 15:19
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西の空が真っ暗、もうすぐ雨が降り出すらしい。きょうの夜、ひさしぶりの大学の同期会が三島駅近くの寿司屋である。僕は一切酒をのまないのでこういう時も東名高速を車で走って行く。大和市からなら新横浜に戻って新幹線に乗るより東名横浜町田インターから車のほうが確実に早い。ベトナム人の通訳が月に一回やってくる土曜日なのできっと混むだろう。そういえばきのうの昼前に数年前に一回だけやってきたことがあるフィリピン人男性から胃がん検診を受けたいと電話があった。午後に相談にくると言ったが、現れなかった。きょう、やってくるだろうか? それにきょうはベトナム人の内視鏡検査がふたり入っている。来てくれますように。もう予約がいっぱいなのでキャンセルになってしまうと別の人を入れてあげられたのにと残念に思ってしまうし、かわりの日を指定されてもよほどの無理をしないと対応できない。予定表を見たら今月の内視鏡予定はこのままでも62件、1日3件ペース、午前中の診察時間中に2件、早朝か午後の時間に1件、自分でもよくやると思う。診察をしていくうちにどんどんベトナム人が増えてきた。やはりベトナム人すごく多かった。小児科と私のほうで全部で17人、内視鏡予約した人も全員約束の時間にやってきてくれた。ひとりが十二指腸潰瘍、ピロリ菌も陽性で除菌療法を開始した。まちがった方法で内服されると効果がなくなる。こういう込み入った話はやはり通訳がいてくれないと困る。僕も困るが患者も困る。ひとつが終わったら「ああ、せんせい、わたしもインフルエンザ予防接種したい」とか付き添いでやってきた人が「わたしも診察うけたい」とか言い出してなかなか終わらず、朝から午後1時までずーっとベトナム語が待合室から聞こえていた。
  • 2012/11/17 13:00
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きのう、ラオス人のおばあちゃまが亡くなった時に遺族が我先に口の中にコインを投げ込んだという僕の経験を書いたが・・・タイ人のお父様と日本人のお母様を持ち、高校までバンコックで過ごした中島マリンさんという方が書いた「タイのしきたり」(めこん出版)という本の中で触れてあって目が点になって読んだが、63歳の身、すぐに忘れてしまったと書いた。どうしても確かめておかねばと帰宅してからその部分を読んだところ、やはり「納棺する前に故人の口の中に硬貨や金貨を入れます」とあった。理由は3つあって、個人があの世で使うからという説、仏教ではあの世へ金品を持って行ってはいけないと教えており、たとえお金を口に入れたとしても死者にとっては何の価値もない、あの世にいっしょに行くのは善徳と悪徳だけだと生きている人に悟らせるためだという説、昔、死体処理をする「サパルー」という人たちへの謝礼だったという説があるとのことだ。そして遺体とともに焼かれた硬貨はお骨とともに家族がお守りとして大切に保管するとある。あのときのラオス人の遺族のあのときを待っていたような勢いでの口の中への投げ込みは3つの説ではどうも最初の説に分があるよるような気がしてならない。ところでラオスの習慣とタイの習慣と国が違うのにどうして?と思われる方もいるかもしれないが、タイから見るとタイ語とラオス語の関係は東京のことばと東北弁程度のちがいなのではないだろうか。民族的にも似ているのか、文化もよく似ている。なによりラオ族の人たちが多いイサーンと呼ばれる東北タイではタイ語とともにラオス語にごく近いイサーン語が話されているという現実がふたつの近さを物語っている。最近、AMDA国際医療情報に寄せられる相談の中で外国人の方の精神科関連の相談が多いような気がする。この分野は通訳が入ると正確に患者が話さなくなったり、通訳がニュアンスまで正確に医師に伝えられなかったり・・・一番むずかしい分野だと思う。午前中の仕事を10時半ごろ抜け出して医師会の重鎮で近くの病院長だった先生の告別式に行って来た。亡くなる前日までお元気でお仕事をしていたそうで告別式で医師会を代表して弔辞を述べてきたが、なんだか現実感がない。人ははかないものだとあらためて思った。診療開始してから10時半に出かけるまでたくさんの患者、必死で診療して積み残すことなく出かけた。1時間後に戻ってきたらこの間にやってきたのはたった2人ということだった。何のお知らせも出していないのに不思議だ。外国人患者もおなじみさんばかりで助かった。
  • 2012/11/16 14:24
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