AMDA国際医療情報センター
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プロフィール

小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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理事長 Dr.小林米幸の独り言カテゴリのエントリ

 きのう書いた話じゃないけど、福祉政策が充実してくると、もしかしたら悪用しているのかなというケースも明らかに増えてくる。これは日本人も外国人も同じ。子供たちが保育園に入ろうかというころ、横浜市に住んでいた。共働きだったため、保育園の申し込みに行ったら収入が多いと言う理由で待機のリストの一番後ろにまわされた。夜中まで必死に働いていてなぜこのような扱いを受けるのかが到底理解できなかったし、今でも理解できない。真の意味の平等とは何なのか?どういうことなのか? いつも考えさせられる。もうひとり頭が痛いのがラオス人の若い男性、頭痛の症状がとらえどころがなく、基幹病院の専門医も僕と同じ診断、片頭痛の予防薬といわれるものを処方してもどれを飲んでも眠いといい、眠いから軽作業もできないという。とうとう内服を中止。それでも働けない。片頭痛の場合、たしかにその時はとてもじゃないが働けない。それで仮病とまちがわれることさえある。強く疑っている群発性頭痛については発作がおこると2週間から3週間、毎日頭痛が続くことがあり、たしかに働きにくいが一度発作が治まると、そうそう短期間には再発作はおこらない。これらを考えるとやはり彼の場合、どうして?という疑問符がつきまとう。けっきょく活保護が続いている。専門医から僕のところに戻ってきてしまったのも、僕が甘いからなのかもしれない。幼いころから知っている彼だけに心配になる。
 きょうは午後から県庁でかながわレッドリボン賞の授賞式、夜は診療報酬点数改正説明会。
  • 2012/3/26 10:08
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きょうになってようやく体調がもとに戻った。きのう、久しぶりにやってきた中国人女性、
息子さんが会社に就職するための健康診断の予約をするためにやってきた。すごく上機嫌で「息子は夫と上海に行き、サウナで夫の足につまずついて転んで骨折した。私は香港に食べに行ってきた」と話す。彼女が帰った後、僕に付いている看護師が「先生、あの人、ひとり親でしょ、たしかそうよ」と言う。カルテを出してみたらたしかに「ひとり親」になっている。「ひとり親」とは父親か母親だけで子供を育てていると費用が優遇される制度だ。うーん、どう考えたらいいのか? 彼女がうっかりしゃべってしまったのか?それともいつもは「夫」だけ中国に残っているのか、あるいは「夫」という名前の親しい人なのか?
どうも最後のパターンではないと思う。なんと言っていいのだろう?
  • 2012/3/25 10:00
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久しぶりに自分のことを書こう。実はこの二日間、最悪の状態だった。19日の夜にバンコックに行って、21日の朝便でもどってきた。帰りはユナイテッドファーストがフルフラットにしてずっと寝てきたので体調はすごくよかった。次の22日木曜は診療の後、午後から県医師会会長会、その後もうひとつ会があって家に戻ったのは7時ごろ。食事の後、台湾の亡き親友のお兄さんからいただいたカラスミの大きいのを生で1/4ぐらい食べた。食べて30分もしたころから激しい悪寒、戦慄、しばらくすると激しい下痢。感染性腸炎にちがいない。しまったと思ったがもう遅かった。しばらくすると今度は発熱、体が熱い。激しい下痢で体は脱水、つらい夜がすぎて23日金曜の朝、診療できるのか?というぐらいの体力だった。朝、7時にクリニックに行き、点滴500ccを受けた。少し体が楽になり、午前の診療をなんとか乗り切る。12時になり、再び点滴、12時を10分過ぎて生命保険の審査の人が来た。普段ならこれぐらい遅れてきても職員の様子によっては受けてあげることもあるのだが、きのうはお断りした。午後もなんとか診療しきったが、耳が熱くなる。鏡を見ると耳が赤い。夜予定されていた医師会の研究会の責任者に電話してわけを話して欠席させてもらう。そして夜はお粥。9時から朝の6時までこんこんと寝続けて起きたらほとんど治っていた。いわゆる感染性腸炎をひきおこす細菌には2種類ある。人間が食べて胃や腸の中で感染して症状をおこすタイプと菌そのものが毒素を持っていて食べて数十分すると症状が現れるものだ。今回、タイで最後に食事をしたのは火曜の夜の6時、日本時間の8時だ。丸2日も経過してから症状が出るというのはおかしい。やはりからすみにちがいない。
今度は熱を通して食べよう、いや食べずに捨てようか、高価なからすみを。
  • 2012/3/24 9:00
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ここにきてまたインフルエンザや溶連菌の感染症が増えている。学校が春休みになり、普通なら感染は下火になるのにどういうわけだろう? きのうも僕のほうは外国人患者3人なのに小児科は17人もいた。1週間前にB型インフルエンザと診断したベトナム人の若いお母さんが高熱と喉が痛くて来院。彼女の顔にはありありと疑いの色が。インフルエンザ、治らない、この医者、だいじょうぶだろうかというように見える。のどを開けてもらうと扁桃腺が真っ赤で、たくさん白い「白苔」といわれるようなものがついている。溶連菌にまちがいない。のどからこすって検査をしたところ、ピンポーンだった。これはね、インフルエンザとはちがう。イルフルエンザで体が弱っているところに別の病気が入ったんだよと話すとわかってくれた。ところで・・連れているふたりの子供は喉、痛くないよね?と尋ねると上のお兄ちゃんが痛がっているとのこと、隣の小児科の部屋で診てもらったらお兄ちゃんも溶連菌だった。朝のうち、カンボジア人の72歳の女性来院。いつもは高血圧で拝見しているのだが、右手の指が腫れているという。見るとたしかにひどく腫れているが、赤みはなくて細菌感染ではなさそう。リューマチも疑うべきと内科のリューマチを専門とするクリニックを紹介することにした。そう告げたとたんに泣きだしそうな顔、徒歩で10分ぐらいなのだが、ちゃんと行き着けるか、心配だと言う。スーパーの横を通って、駅のほうに曲がらずに直して・・・・と地図をコピーして教えてあげた。その後、何も言ってこなかったので、無事にたどり着けたのだろう。このように暗に「先生のところで診て」と言われても申し訳ないができない。けっきょくは適切な治療が遅れてしまう。
  • 2012/3/23 15:32
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 タイのNPOであるTAEMとAMDAの協力覚書の調印式にバンコックを訪れて昨日帰国した。考えてみたら31時間の滞在だった。調印式の行われたラチャウィティー病院まで宿泊していたスークムビット ソイ23のジャスミンスイートまで救急車のような迎えが来てくれた。行ってみたらモノレールのアヌッサワリー駅(勝利記念塔)から至近距離だった。あのあたり、デェンデェーン通りとの交差点だが、少し物価が安いらしい。初めて足を踏み入れるあたりだった。たしかアヌッサワリーの周辺は夜になると東北タイの料理店、屋台がたくさん出るという。今度行ってみよう。調印式はAMDAから僕、タイ側からは責任者のサント教授、病院長の女医先生、そして旧知のパイロート先生が出席、ちょうど同病院で行っていた全国の若手医師、看護師を対象にした救急の研修を受けに来ていた人達も参加したいとのことで大勢の前での調印式となった。そこで僕はタイ語と英語とのチャンポンであいさつをした。タイ語で話し始めると会場がどよめいた。たしかに日本人の医師がタイ語で話すなど想像していなかったにちがいない。といっても全部をタイ語で話せるほどの力がないのが残念だが。でも少しでもその国の言葉で話すとぐっと気持ちが近寄る。若い人たちの顔に書いてあった。あのタイの洪水のころは1万円が4000バーツ寸前だったが、このところの円安で3640バーツになっていた。
 今回はマイルがたくさん余っていたユナイテッドのファーストに乗ってみた。もちろんマイルで。いつもこの数年JALにしか乗っていないので、余計に気がつくことがあった。ユナイテッドの客室乗務員、けっこう高齢な人が少なからず乗務している。帰りもまったく同じ乗務員だった。中一日、休息日なのだろう。すこし親しくなったところで「ユナイテッドは何歳まで働けるの?」と尋ねてみた。すると白髪の彼がにやっと笑って英字新聞を持ってきて見せてくれた。そこには84歳でも元気に働く同社の男性客室乗務員の姿があった。ところでこの白髪の彼は?と思って、年齢を尋ねたら僕とまったく同じ、1949年生まれで僕のほうが半年年上だった。しっかり握手。やはり機内食はいわゆる洋食が多い。行きには和食らしきもののチョイスもあったが、帰りの便は朝食も昼の軽いランチも洋食のみ。やはり食に関しては僕のような和食が好きというタイプにはつらいかもしれない。成田で降りるときに「ミスターコバヤシ、あなたは何歳まで働くのか?」と尋ねられた。死ぬまで・・・と答えたが、その通りになるのかもしれない。どうか、余裕のある人生を送りたいものだ。
 きょうは午後から県医師会会長会。午前中きっと混む。がんばらなくては。
  • 2012/3/22 9:03
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フィリピン人の新患、呼んだら「ひさしぶり」とあかちゃんを抱いた若い女性が部屋に入って来た。カルテの年齢とおよそ合わない。その後ろから母親らしき女性が続いてはいってきた。患者はこの母親のほうみたい。ひさしぶりと言われたので記憶を呼び起こそうとするが、なかなか出てこない。ただ彼女の英語を一言聞いて思い出した。某国立大学の大学院に留学していたお嬢さんだ。いつも僕のところにやってくるフィリピン人女性とはどうも「お育ち」がちがうようだ。一度フィリピンに戻ったけど、日本にいるときに出会った日本人男性と結婚してこちらに住んでいるらしい。母親は生まれたあかちゃんとあかちゃんを抱えた娘の面倒をみるために日本にやってきたようなのだが、この寒さ、最近は頭が痛くなったり胸が苦しくなったりすると訴える。そういえば母親を連れてくるフィリピン人女性は少なくないが、母親と英語で会話できることはあまり多くはない。この母親とは英語で完璧に意思の疎通はできた。瞬間的に慣れない土地にやってきて精神的にも参っているのかなと思ったが、まずは血圧を測ってみると高い。日頃は120台というのに150近くある。さらに尋ねてみると寝られないと言う。たぶん不眠がたたったのだろう・・なんて考えて次にすべきことを考えていたら・・・・フィリピンでは降圧剤を内服していたとのこと、最近は血圧が120台で落ち着いているので、来日直前からやめたらしい。降圧剤を内服していた人が内服するのをやめたら、それだけで血圧が上がるはず。それにこの寒さと見知らぬ土地での不慣れな生活、血圧が上がらないほうがおかしい。あと数日で帰国するというので眠剤だけ処方した。よく寝られたらそれだけで少し、下がるだろう。よくAMDA国際医療情報センターに、母国から日本に嫁いだ娘の親がやってきて心臓発作や脳卒中をおこし、大きな病院に入院してしまい、お金がとてもじゃないが支払えない、どうしたらいいだろう?という相談が入る。もし母国でなんらかの慢性疾患で治療を受けているのなら、それが日本でも継続できるよう、薬など忘れずに持ってくること、そして薬を全部飲み終えてなくなる前に日本の医療機関を訪ねることだろう。
  • 2012/3/19 9:02
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 フィリピン人女性、今秋になってから花粉症がひどいと来院。お弁当屋さんで働いていて、鼻水が出て仕事にならないと言う。クリニックのフィリピン人通訳の話では、お金に余裕があるフィリピン人たちはこの時期、フィリピンに里帰りして花粉症から逃れているらしい。この女性、勤労意欲満々。「働く者、食うべからず、だから働くよ」という言葉にはびっくりした。こんなに花粉症ひどかったら、あなたもフィリピンに帰る?と尋ねてみると「冗談じゃないよ、休んじゃったら首になっちゃうでしょ。日本にいるなら働かなくちゃ」と答えた。彼女によるとフィリピン人は怠け者なのではなくて、フィリピンには働こうにも働き口がないそうだ。だから日本にいるときっぱり。頼もしい。
 AMDAグループとの間で協定書を結び、全面的に支援している岡山県総社市の市役所からAMDA国際医療情報センター協力によって作成した外国人患者対応の問診表、薬の説明の仕方など一部送られてきた。完成したので送りますと数日前に担当者から電話があった。総社市は岡山市に隣接し、岡山空港からもすぐのところにある。市内にたしか三菱自動車の工場があって日系ブラジル人たちが多数働いている。彼らが働くということは当然だが、コンビニやスーパーで買い物もするわけであって、市内の財政的活性化にもつながっていることになる。送られてきた袋を開けてみたが、AMDA国際医療情報センターでは今まで、問診表、薬の説明などと時期的に別々のタイミングで作成したために目的別に一冊の本になっているのだが、総社市作成のものはこれを言語別に一冊ずつにしてある。なるほど、賢い。実際にはそちらのほうが使いやすいはずだ。内容はAMDA国際医療情報センター作成の物と全く同じだが、これについても総社市と取り決めを交わしている、ぜひ総社市在住の外国人、総社市の医師、看護師、薬剤師の皆さんのために役だってほしい。
  • 2012/3/17 8:50
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相鉄線の沿線でフィリピン料理の店を経営しているフィリピン人男性がやってきた。高血圧で診てからもう2年、定期的にやってくる。彼の場合は日本人の奥さんがいて、よくよく尋ねると離婚が制度上、認められていないフィリピンに戸籍上の奥さんがいて、子供ももう大きいとのことだ。彼の場合は日本人の奥さんにこのあたりの事情を全部話してあって、日本人の奥さんも了解していると言う。何度か、この日本人の奥さんと話したことがあるが、とてもいい方だ。きっと心底、彼を愛しているのだろう。きょうやってきたのを見たら少しおなかが小さくなっている。奥さんがよく見張っていて塩味など見張っているらしいが、彼のレストランに行った時の話、その奥さんが言うには「先生、あのね、先生にしゃべっちゃいけないと言うけど、実はね、あのブルブルブルというベルトを使っているのよ」、すると彼が横から「おしゃべりだなあ。しゃべって」。と笑いながら。そういうふたりの顔に幸せって書いてあった。
  • 2012/3/16 15:23
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 まだインフルエンザ、流行っている。きょうの午前中、B型インフルに罹ったフィリピン人がふたりいた。やはり頭痛と体の痛さ、だるさが経験したことないほどひどいと訴える。
 センター関西の日誌が数週間分、まとめて送られてきたので目を通す。西日本の某県に住んでいる日本人女性から、故郷を訪ねてそこで倒れてしまったタイ人のご主人の件についていて、保健福祉事務所を介しての相談があった。奥さんはご主人を日本で治療しようとご主人を日本まで運んでくれる手立てを考えたらしい。患者の搬送は株式会社で行っているところが2社ある。1社に聞いてみたところ、500万ぐらいと言われたらしい。ほかの会社では250万とか、いずれにしても高額だ。旅行保険に加入しているとカバーされるが、入っていなかったとのことで全額負担になってしまう。この費用には日本側の医療機関の紹介料も含まれているとのことだが、やはり株式会社が医療に入って来ると、こういうところまで高額な費用を請求することになるのだろう。費用に困っているとのことだが、こういうケースを引き受けて交通費だけでタイまで行ってくれる医師もなかなか見つからないと思う。実はこのケース、日本人の奥さんとタイにいるご主人の親族との間で書類のやりとりなどうまく行っていないようだ。大家族で暮らしているタイ人と夫婦が単位の日本人、日本に連れて帰ってこちらで治療を受けさせたいというのは日本人の奥さんだけの希望であって、タイ人のご主人の親族はそうは思っていないのではないかとも思う。このあたりを確認しておくべきケースだろう。
  • 2012/3/15 13:57
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きのうの朝、クリニックのフィリピン人スタッフから家庭内暴力を受けたフィリピン人女性を連れて行くからと知り合いの同国人の女性から携帯に連絡があったという話を聞いた。午後から出かけるので、午前中忙しく、こういうときに来られたらゆっくり話も聞けないなと心配していたら昼までに来なかった。こういうケース、深刻な話になっていたらシェルターに一時的に収容するしかない。神奈川県にはたしか民間が運営するシェルターが二つあったはずだ。そして収容してもらうためには僕がシェルターに直接交渉するのではなく、まず市役所の担当課に連絡し、そこから依頼してもらわないと収容してはもらえない。本来ならソーシャルワーカーが行う仕事なのかもしれないが、僕のクリニックのような小さい組織であれば、そこまで僕がやらねばならない。こういう喧嘩、カップルによりいろいろな原因があるだろうが、一番多いのはフィリピンにいる親族への送金をめぐるトラブル、そして同じぐらい多いのは日本人男性の暴力である。もちろん両方がからみあっているときもある。過去にも数件、こういうケースを持ち込まれたことがある。文化の違い、経済力の違い、そして悲しいことにカップルで忌憚なく心の中まで話しができないお互いの語学力、やはりこういう国際結婚は難しい。
  • 2012/3/14 8:53
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