AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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平成23年8月12日金曜 1

平成23年8月12日金曜 1

バンコックに着いたらすごいスコール、経済発展で新車が多くなったのにきのうはコンドミニアムまで古いタクシーに乗った。途中で右の肩に冷たさを感じてみたら水滴が落ちてくる。よく見たらタクシーの内側が雨に濡れていた。ドル安の関係で円とバーツの関係も若干円高に振れており、1万円を市内の両替所で交換したら1万円が3800バーツを超えていた。
 昼からバンコックの病院に行き、夕方に友達と会う。それまでの時間、バンコックにいる時間のある間にいつもは書けないことを書いておこうと思う。
 僕の自分史だ。外国人医療への取り組みから僕のことを人権の闘士と思い込んでいる人たちがいる。過大な評価は困る。本当は適当が大好きといういいかげんな奴です。ここまでは前置き。

 僕が生まれた北海道の夕張郡栗山町というのは財政破たんで一躍有名になった夕張市の隣町で、夕張市は山の中だが、栗山町は石狩平野の終わるところにある。町の東には夕張山脈、西は石狩川第一の支流夕張川が流れ、途中雨煙別川などが合流し日本海に続いていく。
 国鉄室蘭線とジーゼルカーで運転されていた夕張鉄道が交わるところで、夕鉄に乗ると野幌操車場までジーゼルカー、そこからバスに乗り換え、札幌大通り公園まで1時間ちょっとだった気がする。僕の思い出がすべて詰まった文字通り僕の心のふるさとだ。産業といえば祖父が経営する酒造会社にコンクリートをつくる会社、保険代理店などを務める会社など・・要するに祖父の息のかかった会社ばっかりというわけだ。保育園や小学校の低学年のころに友達の家に行くと僕を迎えてとまどったという表情をする家と明らかに来てもらって迷惑という態度の家があった。きっと厳しい経営もしていたことだろう、祖父を恨む人もいたにちがいない。その町を牛耳っているドンの孫がやってきたのだから複雑な気持ちであったにちがいない。言葉には出されなくても歓迎されていないことはすぐに子ども心にもわかる。家の中の貧しさもわかる。自分とちがう人たちがいるのだなと強く思った。僕の父方の一族は明治の終わりに新潟県の刈羽郡西山村や長岡、柏崎、出雲崎にちらばっていた一族がリーダーである祖父に率いられて集団で北海道に渡ってきた。おかげで僕も小さいころからよく新潟の親戚を訪ねる旅に連れて行かれた。長岡の薬局に嫁いだ祖父の怖い姉の家や新保というところに行った記憶がある。この一族は大きく小林と田中という2つのグループから成り立っていてもともとは親戚らしいのだが、北海道に渡ったのちに同族の中での結婚が何組もあり、誰に聞いて一族の系譜を書いてもわからないところが山ほどある。僕は実は田中の系統なのだが、祖父が小林の側に養子に行ったため小林姓なのである。祖父は英雄色を好むを地で行くような人で妾がいっときは7人もいたという。携帯電話もない時代だったからできたのだろう。本妻もいれたら8人の女性に生まれた子供は妾に生まれた僕の父だけだった。最後の妾である山川という女性に自分に女の子が生まれたがすぐに死んでしまったと本人の口から聴いたことがある。たぶん僕が19歳のころだと思うが真偽のほどはわからない。父の本当の母親という人に会ったことが一回だけある。大学生になりたてのころ、ある理由で探して会わざるを得なくなり、日高の鵡川という町まで父と行った。もとは芸者をしていたその人は祖父のことをある人から「内地からときどきやってくる商人だと紹介された」と言っていた。一度は生後すぐに本妻に引き渡した息子を取り戻そうと栗山の家に行き、首尾よく赤ちゃんの父を連れ出したが気がついた家の使用人に駅で取り押さえられ、箒でさんざんたたかれたらしい。僕から見たら実の祖母になるわけだがその人の妹の孫、すなわち僕のはとこにあたる女性は札幌出身のちょっとは売れていた歌手だった。本人と話したことはないがお母様と話したことは何回かある。父もそのとき実の母であるその女性と違和感なく話していて、話の内容も僕の知らない人や知らないことばかりで父と実母の間に比較的密な連絡があるのだなと初めて知った。父は生後数日で祖父の本妻に引き取られた。ところが世間体が悪いと思ったのだろう、祖父は自分の戸籍には入れずに兄弟の戸籍に入れてくれるように頼みこみ、新潟で小学校の校長をしていた義理の弟には断られたものの、新保というところにいた兄の戸籍に入れて、そこから養子を迎えた形で自分の戸籍に入れた。一族が集まって酒造会社を経営し、町をしきっていたところに後継ぎの有力候補として突然出現した妾のこどもに親戚の目がやさしいわけがない。父は複雑な人間関係をバックにしだいに曲った人間になっていったという。
  • 2011/8/12 16:33
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