AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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平成23年6月25日土曜

平成23年6月25日土曜

あああ、何も食べずに来たから特定健診してという人が数人いててんてこまい、途中まで終わってから、そうそう、がん検診もね、お願いなんて言われることもままあり、8時50分に仕事始めてトイレも行かず、気がついたらもう今、12時半。だんなさんに連れられた初診のタイ人の奥さん、隣の市からやってきた。数日咳が止まらないというが、たばこは吸うの?とタイ語で尋ねるとたくさん吸うとのこと。日本語でだんなさんにたばこはいけないというと旦那さんが「ほら、見ろ。旦那の俺が吸わないのに」と奥さんに言う。奥さん、これには返事せず。カンボジア人の女性、華僑系のカンボジア人なのに名前がベトナム人風。お子さんたちはベトナム語を話す。インドシナ難民として日本にやってきて以来のつきあい。最近、カンボジア人の難民仲間の男性たちがカンボジアに遊びに行ったり、日本に仕事がないからとカンボジアに仕事をするために行き、帰ってくると奥さんに離婚届けを突きつける、そういう人が少なくないらしい。届けを出すとカンボジアにもう一度戻り、今度は若い女を連れてくるとうわけだ。「今度、うちのだんなさんもカンボジァ行くからね、私も危ないかもねー」と笑っていた。インドシナ難民としてやってきたベトナム人でもよくあるケースだが、カンボジア人の場合、当時のポルポト政権下の政府による強制結婚で「処刑されないために好きでもない相手と結婚した」そういう結婚が多かった分だけ、問題が大きいのかもしれない。紙幣もなくし、農業だけが労働だと叫び、医師、看護師、教員、銀行員など都市に住む人たちを原始共産制度にそぐわない反逆者だとして数百万人殺しまくった政権が70年代にこのアジアに存在したことを知っている若者がいまどれぐらいいるのだろう。僕のまわりにはこうして殺されないために必死の思いで故国を捨てて逃れ、海賊だの山賊に襲われ、仲間を亡くし、ようやくたどり着いた近隣諸国の難民キャンプから日本にやってきた人たちが大勢いる。当時は僕も彼らも20代から30代の若者、いまみんな熟年というより高齢者になりかけている。
  • 2011/6/25 9:06
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