AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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平成27年9月28日月曜

平成27年9月28日月曜

26日の土曜日、近くで小学校の運動会があったためか、日本人の受診者はあまり多くなかった。フィリピン人女性の特定健診受診者が二人、出産後の女性がひとり甲状腺機能検査。甲状腺機能亢進症なのだが、妊娠・出産があり、はらはらさせられたが無事に帰って来た。ペルー人男性に特定健診の結果を話した。ある程度日本語がわかっていても医学用語はむずかしい。医師のほうがある程度スペイン語の医学単語について知っていないと理解が得られないだろうとつくづく思った。カンボジア人女性54歳、インドシナ難民大和定住促進センターに彼女が入所した時に健診したのが僕だった。たしかタイ国内のサケオの難民センターから日本政府のインタビューを受けて合法的に受け入れられたカンボジア人難民約1000人のひとりだ。当時のタイ国内にはタイ東部のカンボジア国境にほど近いサケオにカンボジア難民のためのキャンプがあり、東北タイのラオス国境に近いカオイダンの難民キャンプはラオス人難民のためのキャンプだったと記憶している。当時のタイは共産化する隣国カンボジアとラオスに挟まれ、タイ国内でも一部の知識人が共産主義に走り、密林にこもったと聞いている。カンボジアとはタイを追放されたタクシン元首相がカンボジア政府の経済顧問を務めたり、国境にあるプレンベイン寺院の帰属をめぐってタイとカンボジアの国軍がにらみあってときどき発砲事件をおこし、死傷者が出ていて「いい仲」とは言えない。しかし東北タイにもともとからラオ族のタイ人がきわめて多数住んでいることもあり、ラオスとの国境のノンカイ近くのメコン川にはタイとラオスの友好橋や鉄道が走る等、ラオスとは良好な関係が築かれている。当時日本が受け入れたラオスとカンボジアの難民はたがいに1000人を少し超える程度だった。中には日本に定住後、兄弟や親族が暮らしていたオーストラリアやカナダに再び移民として行ってしまった人たちも少なからずいる。どうしても日本になじめず、母国がかたくなな共産主義と決別してから帰国した人もいるらしい。残った難民一世の人たちは苦労して日本で働いてきた。こういう人たちが「来てよかった」と心から思ってくれる日本であってほしい。
  • 2015/9/28 9:00
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