AMDA国際医療情報センター
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小林米幸: AMDA国際医療情報センター理事長

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平成23年9月23日金曜

平成23年9月23日金曜

祝日だというのに朝の8時半、もう東名高速足柄サービスエリアにいる。5日ほど前に台湾にいる「姪」の一人からメールが来た。かっこ付きの姪ということは本当の姪じゃないということだ。正確に言うと僕の大の親友だった台湾の友人の一番上の兄の娘だ。この親友と出会ったのは27歳の時だった。当時僕は慶応大学病院の外科にいた。ある日、日曜当番で病院に行ったら台湾人の急患が来ていて急性虫垂炎ですでに腹膜炎になっていた。それが親友だった。チーフレジデントがレジデントである僕に手術をしてもよいと許可してくれたので僕が執刀医となった。急性虫垂炎の手術は外科医にとっては最初に学ぶ手術の一つであり、僕も25歳で大和市立病院に出張した時には1年で100を超える手術を行った。しかし慶応大学病院のように石を投げたら医師に当たるほど医師が多い病院では、こういう手術でさえ卒業4年目の医師が執刀医になるなど例外的なことだった。彼はいつも僕におなかの傷を見せては「どこかのへたな医者が手術したからこんなになっちゃったよ」と言っていた。彼が台湾に帰った時に後を追って訪ねると彼の両親、兄弟がみんなかわいがってくれた。アジアに出かけるたびに帰りに一泊でも台湾によって彼の両親にお会いしていた。その彼はどこから叩いても壊れないような体格をしているのに5年前に突然亡くなってしまった。B型肝炎なのに酒を浴びるように飲んで肝不全になったことが死因だった。彼がもう意識がないというのは今回と同様、「姪」のひとりからの電話で知った。彼の母親すなわちこの「姪」のおばあちゃんは「小林さんに言ったら仕事を休んでも来る。仕事を休ませてはいけないから話すな」と「姪たち」に命令していたとのことだった。僕はあわてて台湾に飛んだ。数か月人工呼吸器がついていたそうだが、僕が見舞いに行ったその日、僕が手を握ってからしばらくして血圧が下がり始め、数時間後に僕の目の前で亡くなった。みんなが彼は僕がやってくるのを待っていたんだよと言ってくれた。本当にそんな気がした。それから2年に一回ぐらい彼の墓参りで台湾に行く。台北の北、キールンの近く、北に海を臨む小高い山の中腹に彼は眠っている。同じ墓地の敷地内にテレサ・テンの墓もあり、彼女の墓の10メートル以内だったか・・に入るとライトアップされて彼女の歌が流れる。彼の死後、僕は彼のかわりに彼の兄弟の列に加えてもらっている。一歳年下の彼には3人の兄、一人の弟、一人の妹がいる。そして一番上の兄には5人の娘がいる。一番上は娘、二番目も娘、次は女の子の双子、最後がまた女の子、5人ともなついてくれているがいつも僕にいろいろと教えてくれるのはこの双子の「姪」だ。なにしろ初め出会ったころはまだ小学校低学年だった。二番目の娘が日本人に嫁いで御殿場にいる。そこに僕の「一番上の兄夫婦」が娘と孫の顔を見にやってきているというわけだ。数日前に電話したら「あれ、わたし、ここにいるの、どうして知ってるの?」と驚いていた。どこにでもスパイはいるんですよと言うと笑っていた。で、きょうはこの「兄夫婦」に会いに行くというわけだ。会うのは2年ぶり。懐かしい。
  • 2011/9/26 8:58
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