東日本大震災 あの日からすべてが変わった。 このように書き始めてしまうと、今回のことがすべてドラマか何かのように思えてしまう。 けれど私は、本当にあの日を忘れることができないと思う。


世界の何かが変わったと思った時は、今までもあった。私の場合それは2001年9月11日に起きた同時多発テロだった。そこでなぜ阪神大震災ではないのかと言えば、1995年当時、私はまだ学生で、その頃の私には神戸や淡路島は海外と同じくらい遠かった。そしてなぜ同時多発テロなのかと言えば、9月11日のその日、私は南米を旅行中で、日本と比べれば至近距離にいたからである。


しかし、一つの出来事でどれだけ衝撃を受けようと、実際に体験しなければ解るものではないのだと、今回のことで痛感した。


2011年3月11日、激烈な地震が東北地方を襲った。センター東京のある都内でも震度5強が観測され、それはほとんどの人が人生で初めて感じた大きな揺れだった。地震後、あらゆる電話は一気に不通となり、鉄道は全線運転見合わせ。センター東京では一時全員屋外に避難したが、大きな揺れが収まると屋内に戻り、業務を続けた。しかしセンターの電話もつながりにくい状況が続き、テレビでは東京都内での火事や事故のニュースとともに、津波の映像も流れていた。その時点では、都内にいる大多数の人が帰宅困難になるであろうことは憂慮していたが、これが戦後最悪の大惨事になろうとは考えていなかったのではないかと思う。むしろ想像できるほど冷静でなかったのかもしれない。私自身、職場から自宅へ徒歩で帰宅したが、夜中じゅう余震におびえ、まるで自分も被災者に含まれるのではないかという錯覚の中にいた。しかし、電気、ガス、水道はどれも正常で、当日につながらなかった電話も、翌日には復旧していた。


震源地間近の東北地方での被害は深刻で、報道が進むにつれ事態は悲惨さを増した。これを書いている瞬間にも死者・行方不明者数は増え続け、2万7000人を超えようとしている(4月1日時点)。想像を絶する被害だ。津波は町をいくつも一瞬で飲み込み、そして海にさらっていった。道路は寸断され、ライフラインは根こそぎ破壊された。それまで報道ではあまり馴染みがなかった「壊滅」という文字が、テレビ画面に多く映し出された。


更に追い打ちをかけたのが福島県の原子力発電所での事故である。度重なる余震と相次ぐ原発事故は、被災地のみならず日本中に、そして日本人のみならず在日外国人にも大変な心痛を与え続けている。地震直後から在日外国人が成田空港に大挙して押し寄せ、帰国の途についたニュースには少なからず衝撃を受けた。入国管理局の窓口には、連日再入国許可を求め何千人もの外国人が列を成したという。彼らが安心して再び来日するのはいつのことになるだろうか。いま現在も不安のなか日本にとどまっている在日外国人に、「安心して大丈夫」と胸を張って言える日は、いつになるだろうか。 その日が1日も早く来ること、そして被災地の復興を願うばかりである。 (センター東京 M)