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トップ  >  NO.68 外国人であることの敷居
 この春、2016年の夏季五輪・パラリンピック開催地の現地調査の為IOC評価委員会のメンバーが東京を訪れたのは記憶に新しい。そこで東京のみならず日本国内各地が外国人にとって本当に過ごしやすい場所になっているだろうかといじわるな疑問が私には沸いてきた。
 当センターには多くの国の出身者が相談員として業務に携わっている。更に付け加えれば、永く日本に住み日本語も流暢に話せる人達が多い。その相談員達から『外国人だからと言われて差別を受けた』という類いの話を時々聞く事がある。それは相手に言われた内容の理解が充分でない時もあるが、明らかに『外国人』という枠の中の人達に対する言葉に聞こえる時もある。また、センターで電話相談を受けていると病気に関しての“痛み”の表現の仕方、病気に対する受け止め方・感覚の違いに今更ながら驚く事がある。話が少し飛躍するがカエルや鶏の鳴き声の表現もお国柄があるようなものなのかもしれないとも思う。
 ある外国人女性から流暢な日本語で相談を受けた。彼女の話では、丁度1歳になったばかりの子供がちょっと目を離した隙にベビーカーから落ちて頭を打った。ひとしきりひどく泣いた後、頭にたんこぶのようなものができ赤く腫れていたそうだ。その為、育児や子供の相談を行っている公共の相談窓口に電話をかけ、この時点で医療機関に行った方が良いのかどうかを聞いたところ、「心配ならば今日中に医師に診てらった方がよい」とアドバイスを受けた。その際に教えてもらった小児科・脳外科のある一番近くの病院に急いで駆けつけた。事前に電話で確認するように言われてはいたものの、とにかく急いで病院に行った方が良いと判断し直接行ってしまったらしい。夕方の時間帯でその病院は午後の診察が既に終わっており、救急受付の時間帯ではなかったという。病院に着くと病院のスタッフが医師を呼び出してくれたが、結果的に診察には至らなかったそうだ。病院の診察を受けるかどうかの医師とのやり取りが数分あり、詳細はよく分からないがどうやら時間外の診察の料金と乳幼児医療証の使用について話した様子だった。その際に「無料にはならないのですか?」と質問をした時に「だから外国人は・・なんだ!」と言われ、医師はそのまま立ち去ったという。流暢な日本語を話していた彼女は、医師の背中を見ながら涙が止まらなかったと言っていた。もし必要ならば医療機関に関する苦情等の相談窓口があると話したが、その母親は私達に話したことで気持ちが落ち着いたと言って電話が切れた。幸い子供の状態も心配するような変化はなかったそうだ。実際にその場に同席していた訳ではないので、どんないきさつでその言葉が医師の口からでたのかは正直分からない。医師や病院側の状況もあったのかもしれない。相互の会話の中でなんらかの誤解が生じた可能性もある。しかし、こうしたちょっとした心のすれちがいが外国人の住み易さや過ごし易さに少なからず影響を与えているのではないだろうか。
 日々私達は医療機関の案内のみならず、日本の医療・福祉制度の説明等を電話で行っている。それぞれのケースによるが、相談者に代わって私達が病院や市区町村の窓口に詳しく内容を確認することもある。すると内容が少々複雑になると日本人でも容易に理解し難いことに気付く。そんな毎日を過ごしていると「外国人であることの敷居」はなかなか低くならないのかもしれないと思えてくる。そして、それはどんなに言葉が流暢で日本に慣れ親しんだ人であっても・・・。
 センターがこの活動を始めてから18年の日々が過ぎた。その間、日本側の外国人を受け入れる姿勢や理解度は少なからず変化をしてきた筈だ。時代の流れとでもいうのだろうか、交通の便があまり良くない地方の小さな街からも電話相談が入るようになってきた。今現在は確かに「100年に一度の経済危機」と言われてが、いずれ景気も回復し労働力の確保が必要になるだろう。その一方では、少子化が進まざるを得ない情勢、医療・介護の現場では相変わらず人手不足が続いている。きっとこれからも外国人労働者の受け入れは進むのではないだろうか。確かに言葉の壁、文化や感覚の違いは深刻かもしれない。けれども、私は思う。私自身が介護サービスを受けるようになった時、私はどの国の言葉で「ありがとう」を言うのだろうと。故に今まで同様、いやこれまで以上にセンターの果たす役割が大きくなるのではないだろうかとふと考えた次第である。                                                 (センター東京 O)
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